『通学路』

抱き締めるようにして抱えている鞄は、本来であれば背負うもの。
必死の形相で向かっている先は、本来であれば子どもたちが学ぶ場所。
時刻は午前8時30分。通勤通学時間である。
自分がなぜいまだに、吐きそうになるほど走っているのか分からない。もうかれこれ30分は走っている。
いや、原因は分かっている。今抱えて走っているこの鞄の中身だ。
足を前へ前へ動かしながらも、何度か振り返って後方確認も怠らない。

─追ってきてはいない。

だが。

─確かに追われているのだ。

「ッ、見えない敵ほど厄介なもんはねぇよな…!」

ようやく見えてきた我が学舎に安堵したのも束の間、その学舎が、ゆっくりゆっくりと動き始めた。
建物の周りを、地面から現れた鉄壁が囲っていき、建物自体は下へ下へと沈んでいく。
防御態勢に入るようだ。
そりゃそうだ。なんせ、“未確認生命体”を抱えた奴が近づいてきている上に、明らかに危険性の高い“ヤツ”を引き連れているのだから。

「ああー!くそっ!」

学舎まではあと、横断歩道を一つ渡り、傾斜の急な坂を登る必要がある。僕の体力はとっくに底をついているが、そんなことを言っている場合ではない。
どういうわけか狙われている“コレ”を、なんとしてでも守らなければ。
背後からの殺気は依然としてビリビリ背中を刺してくる。
横断歩道の信号が点滅を始めた。

「!」

ああ、さようなら、優等生な自分。
横断歩道の手前でダンッ!と一歩強く踏み込んだ。

─リミッター・解除─

校則など気にしてはいられない。
機械的な音声が脳に響き、身に付けているリング型のピアスから閃光が放たれ、体が空へ跳ぶ。真下では、閃光と空跳ぶ人間に驚いた車が数台玉突き事故を起こしたようだ。
軽くなった体で宙を滑っていく。校舎はあと数秒で完全封鎖されてしまう。

間に合え。滑り込め。

「だああありゃああああああ!」

鉄壁が鈍く重い音を立てて完全に閉じる。さらに高く昇って鉄壁の真上の隙間へ体を滑り込ませた僕は、あとコンマ数秒遅れていたらその鉄壁に挟まれ真っ二つだっただろう。
追ってきていた殺気が、鉄壁の周りをぐるぐるしている気配が微かにする。
地下へと潜っていく校舎の屋上に着地。と同時に心臓が酸素を求めて早鐘を打ち、呼吸が大きく乱れ咳き込む。
崩れるようにその場に倒れ込めば、頭がぐらぐらして目の焦点も合わなくなった。

「……し、ぬ……。」

いや死ねないけど。享年17とか絶対嫌だけど。
着地の際に放ってしまった鞄にぼんやり視線を持っていくと、鞄の中の“ソレ”がもぞもぞ動いているようだった。

「おー……、もう安心、だぞー……。」

あまりの倦怠感に、しばらく倒れ込んだ状態でいると、やがて数人の足音が近づいてきた。

「2年A組、羽野翔矢。“ソレ”を持ってついて来い。」
「うぃっす……、あとにしてもらえます……?」
「駄目だ。」

まったく、面倒なことになった。
こちらを鋭い目付きで睨んでいる風紀委員様の表情は、ピクリとも動かない。その後ろに控えている取り巻きたちも同様。
溜め息を一つ。鉛のように重い体を起こして、ぷるぷる震える足を立たせて、鞄を抱え直した。

さて。
“コレ”を連れてきた僕は一体どんな面倒なことに首を突っ込んでしまったんだろうか。

***

通勤中、リュックタイプの鞄を抱えて、背後を振り返りながら走っていた男子高校生を見かけた話。

この短編小説にはまだコメントがありません。
ぜひ一番最初のコメントを残しましょう。