『「池」No.88』

小さい頃に池に落ちた。池の住人に助けられた。今でも鮮明に覚えている。

あれから十五年が経った。

あの池を埋めてマンションを建てる事になった。

自分はそのプロジェクトを進める会社の新人だ。

上司にそれとなく伝えた。

あの池は埋め立てないほうが良いですと。

当然ながら、たかだか新人の意見などは通らない。

まだ工事が始まっていない日曜日、久しぶりに池に行ってみた。

驚くほどに小さい池だ。

恐らく自分が大きくなっただけだろう。

池に向かって話しかけてみた。

「覚えてますか?十五年前に僕がまだ子供の頃に、ここに落ちました。
そして助けられた者です。
忘れもしません、本当に感謝しています。
あの時、僕と同じくらいの女の子がいましたね。
もう大きくなられたでしょうね。
伝えないといけない事があります。
もうすぐこの池は埋め立てられてしまいます。
なんとか助ける事ができないか、それで今ここへ来ました。
何もできないけど、とにかく先ず伝えないと、そう思って。
あのぉ…」

そりゃそうだわな、もし仮に聞いてたとしても、「はい、はいそうですか」なんて言葉は返ってこないだろう。

諦めて帰ろうとした。すると声が聞こえた。

「今夜、遅くにまた来て頂きたい」

あっ、やっぱりいるんだ。

言われた通り、夜もう一度来てみた。

行ったらそこにもう居た。

老人のように見える男性と、それを支えるように立っている若い女性。

あの二人だった。

「何処かカラダがお悪いのですか?」

「最近は私たちを大切にしてくれなくなった。
池の底はゴミだらけだよ。
水も濁りが酷く呼吸がしにくい。
人間たちは、ここを埋めるのですか」

「はい」

「それはそれでええと思います。
こんな腐った池を残しておいてはいかん。
悪いモノが集まって来やすくなる。
今はまだ私たち親子がいるから大丈夫ですが、このままだと私の命はそう持たないでしょう。
そうなると、この子だけになってしまう。
そんな事になると、それに漬け込んで邪悪なモノが集まって来る。
あなた方の世界にも悪影響を及ぼすでしょう。
だから埋めてしまえばええと思います。
いつから作業が始まるのですか」

老人は覚悟をしていたのであろう、こういう日が訪れる事を。

「来週の月曜日からだと思います」

「そうかぁ、頼みがあるのだが聞いてはくれますか」

「当然です、僕にできることなら。あなたがた親子は僕の命の恩人ですもの、何でも言って下さい」

「それはありがたい。
あそこに山があるでしょう。
あの山を越え次の山の中腹に萬福寺という寺がある。
そこの境内傍にヒョウタン池という池があります。
そこへこの子を連れて行ってくれないでしょうか」

「構いませんけど、一緒に行かないのですか」

「私はダメだ。
私はこの池そのものですから、動くわけにはいかないのです。
しかしこの子に跡を継がすわけにも行かない。
埋まってしまいますからな。
私はそれを見届けないといけない。
この子は、この子はまだ若い。
だから他所の池に奉公にだします。
そしていつか神様から新しい場所を頂ける筈です。
何卒よろしくお願いします」

「そこまでおっしゃるなら従います」

「すみませんが、その時は車で来て下さい。
できるだけ大きな水槽を持ってきてほしい。
この子は水が無いと生きていけないのです」

「大丈夫です、なんとかします。いつ伺えば宜しいでしょうか」

「できるだけ早いほうがいい。
時間はこの位で」

「では明日にしませんか?」

「そうですかそれは助かります。
それでは明日よろしくお願いします」

二人は池に消えて行った。

次の日、レンタカーを借りた。

商用のライトバンだ。

これだと大きな水槽も楽々だからな。

ホームセンターで大きな水槽を二つも買った。

予備はあった方がいいから。

ブクブクも買ったし、ブクブクの電気を引っ張るシガーソケットのコンセントアダプターも買ったし、完璧じゃないか。

場所も知ってる処だったので問題は無い。

池に行った。

男性はおらず、女の子だけだった。

「直ぐに準備を致しますので、少しの間目を閉じておいて頂けますか」

「分かりました」

数秒後チャポンという音と共に「よろしくお願いします」と声が聞こえた。

ライトバンの後部のドアを閉めた。

車に乗り込み水槽を確認した。

そこには大きな鯉が居た。

そしてその周りには小さな魚や虫やカエルなどか入っていた。

ゆっくりと走り出した。

真夜中なので車も少なく順調に進んだ。

彼女は無口な方のようで車中では殆んどクチをきかなかった。

二時過ぎにヒョウタン池に着いた。

そこにはもう既に客人を迎える準備が整っていた。

優しそうな家族が立っていた。

事情はもう伝わっていたようだ。

彼女は新しい家族と共に静かに池へと去って行った。

最後に「ありがとう」という声が聞こえた。

そのまま元の池に戻って池に向かい無事に送り届けた事を伝えた。

立ち去る時に「ありがとう」という声が聞こえた。

自動車から降りようとした時に、チリーンと音がした。

鈴だ。きっと彼女がくれたのであろう。

大切な宝物ができたよ。

後日、あの池は更地になっていた。

これで良かったのだろうか、とても悲しい。

       ほな!

素晴らしい内容です、心が清く洗われるような気がしました。

ゴンスケさん嬉しいです。 一人であっても何かが届いた気がして嬉しいです。 ありがとうございます。 ほな!