『世界で一番頭が良くなれる薬』

頭がよくなりたいと思った。
僕は伝記を読んだ。
世界には天才がたくさんいる。
彼らは宇宙の神秘を解き明かした。
彼らは文明を築き上げた。
僕のちっぽけな脳みそでは考えつかないような世界の仕組みや不思議なことを、天才たちは簡単に理解してしまうのだ。
羨ましい、心底そう思った。
僕は頭が良くないから、世の中の何もよく分からなかった。

僕はタイムマシンが作りたかった。
物理のルールも、宇宙の掟も変えてしまう画期的な発明だ。
古代の哲学者から未来の科学技術まで、未来と過去の情報が行き来し、すべての叡智が交錯する。
僕は人類史における叡智の特異点となりたかったのだ。
でも僕は頭が悪いから賢いタイムマシンなんて作れない。
きっと誰か、世界のどこかにいる誰かが賢いタイムマシンを作ってくれるはずだ。
でも、それじゃあ嫌だ。
僕は人類が未だ立ったことがない叡智の地平線に自らの足で立ちたかったのだ。
でもそれは不可能。
僕は賢くなかったのだ。

ある日、僕の目の前にスーツ姿の怪しい男が現れた。
「この薬を飲むと世界で一番頭がよくなれますよ」と彼は言った。
胡散臭い。
きっと麻薬の売買か何かだろう。
僕はそう思った。
「「では貴方が薬を飲めば世界で一番頭がいい人間になれる。そうして僕を説得してみればいい」」
僕の声と男の声が重なった。男はニィーッと不敵な笑みを浮かべる。
「当然私も飲んでいますとも。だからあなたのおっしゃることを予想できた」
なるほど。僕と彼が同じことを言ったのは偶然とは言いがない。
人知を超えた叡智があれば、もしかしたら他人が何を考え、口に出すかなんて簡単に予想できるのかもしれない。
僕は一瞬にして説得された。
ラムネ菓子のような白い錠剤を、はした金で買った。
好奇心に背中を押され、世界で一番頭がよくなる薬なんて馬鹿馬鹿しい代物を口に含んだ。

結果として、僕の頭は変わらなかった。
頭が冴えたような感じもしなければ、突飛なアイデアが思い浮かぶわけでもない。
昨日と同じ今日が来て、明日を迎える。
薬に人を変える力などなかった。

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「でも先生はタイムマシンを現に発明されたわけじゃないですか?」
インタビュアーの女は声を張った。
「その怪しい男に騙されて変な薬を買ってしまった話に何の意味があるのですか? それとも薬は効果があったと」
「薬の効果があったかどうがは分からない」
僕は彼女の言葉を遮った。
「ただ薬は本物だったと僕は信じている。それでも僕の頭が良くならなかったということは……僕が最初から世界で一番賢かった、ということにならないかい?」
「はぁ……」
僕はどうしても怪しい男の、その怪しさから只者とは思えなかった。
だから薬を信じることにした。
そして導き出された矛盾の無い解がこれである。
頭の良さなんて明確な基準なんてないし、自分で頭がいいと思っているから賢いとは限らない。
頭の良さを測るテストも、真の天才には何の役にも立たない。
頭の悪い人間が、頭の良い人間の知能を測るテストなんて作れないからだ。
だから僕は自分が世界で最も頭がいい人間だと結論付けることにしたのだ。

ところで、ラムネ一つで僕の人生を変えてしまった、あの怪しい男が誰だったのかは未だに分からない。
タイムマシンの開発を成功に導くために未来から派遣されたエージェントなのか、
それとも悪戯好きの変わり者の大人だったのか。
僕に解けない謎なので、迷宮入りである。

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