君は止まり木のような人だねと昔の彼女は言った。
つらい時に受け入れてくれるといった意味で彼女は言ったのだろうけれど、僕は少し違う意味でその言葉を捉えていた。
僕のことを好きになる、もとい僕が好きになる人は大体が辛い境遇を抱えていて、それを癒すことを僕に求めてきた。そして僕はそれを受け入れて、その人たちを癒してきたんだ。それから傷が癒えたあるいは、とりえあえずの痛みを乗り切った人たちは胸を張って新しいことに向かっていった。
止まり木、とはすなわちそういう意味だ。傷ついた誰かが、当座の苦しみを避け癒すために立ち寄る場所。いずれは旅立っていく、そんな場所。
事実として、僕のもとを訪れた人たちは自分の悩みを話し、数か月から数年ほどで、皆、どことなく晴れ晴れとした表情で僕のもとを去っていった。自分が向き合うべき相手が分かったとか、新しくやりたいことができた、とかそんな言葉を残して。人によってはありがとう、助かったなんて言葉もついてきた。僕は微笑んでそれを見送った。
そうやって、旅立っていく人たちを僕は何人も見てきた。
「・・・そうですか」
「・・・」
酒に酔うというのは質の悪い話で、本当に見境がなくなってくる。こんな意味のない身の上話を僕は見ず知らずの居酒屋で隣になっただけの人にしていたのだ、自覚すると急に頬が熱くなってきた。
「すいません、こんな話。聞いてもつまらないですよね」
「いえ、面白かったですよ」
そう言って隣の人は、軟骨の唐揚げを肴にしながら梅酒をすすっている。僕はそう言われて、どことなくほっとした。よかった、自分の後ろ暗いところを嫌悪されることなく聞いてもらえた。そんな僕をよそに隣の人はしばしうなってから、端目でこちらを見て口を開いた。
「しかし、うーん。優しい、んですかね?」
「・・・・というと?」
「いや、なんていうんですかねただ優しいのとは違うなと。元が優しいからそうしてるっていうより、そうしなきゃと思いこんでいるように見えまして」
差し出がましい話ですけど、と付け足して隣の人はまたうんうんと唸っていた。うまい表現が見つからないのかもしれない。僕はそう言われて、少し考えてみる。僕は何でそんなことをしてきたのだっけ。
最初に止まり木、なんてことを思ったのはいつだっただろうか?
「うーん・・・」
「最初・・・」
「ん?」
「最初に友達が離れていったんです」
「・・・」
「ずっと仲良くしていたやつがいて、そいつはうまく話しができないようなやつで、周りから浮いていました。僕はそいつが周りに溶け込めるようにって、居場所ができるようにってずっと話しかけてたんです。」
「・・・」
「そうしたら、そいつはちょっとずつ周りになじんで。そいつは元からめちゃくちゃ音楽ができたんですけど、それで一気に輪が広がって。気が付いたら、皆にもてはやされるくらいになってました」
隣の人は梅酒をすすっていた。
「それで、そいつは都会の学校に行って、音楽をやるって言ったんです。で、僕も一緒にどうかって。…僕は」
僕はあの時。
「怖かったんです、それで断った。」
「怖い・・・ですか?」
「うん、怖かった。変わっちゃったそいつも変われない自分も。だから見送ることにしたんです。自分じゃ、変わったそいつについていけない気がして」
「・・・」
「それからずっと、僕は、変わっていく人を助けて、自分は変わらないままで、でも」
でも、きっとどこかで変わりたかったんだ。変わっていく人たちの誰かに助けてほしかった。連れて行って欲しかったんだ。
「助けて、って言えなかった」
つまりそういう、ことだった。
そこでちょうど、僕らが飲んでいたお酒が切れた。どちらともなく席を立つ。
「もう出ましょうか」
「そうですね」
居酒屋を出て、夜空の中で伸びをした。ひやりとした空気の中に、春の温かさが少し混じっていた。
「あ、そうだ。折角なんで、連絡先交換してもらっていいですか?」
僕がそういうと、その人はきょとんとしたような意外そうな顔をした。
「・・・僕、なんか変なこと言いました?」
「いえ、顔を合わせるのはこれっきりで、私が止まり木にされるパターンかなと思っていたので」
そう言われて、お互い苦笑した。そういえば、酒に酔っていたのもあるけれど、僕はこの人の顔すらまともに見ていなかったのかもしれない、自分のことに手いっぱいになっていると頼っている相手のことなんてわからないみたいだ。
よく見ると、女性だった。歳も近そうだ。そして可愛げがあった。いや、世間一般的に可愛げがあるかはわからない。つまりこれはなんとかは盲目というやつだ。
「ありがとうございました」
「おそまつさまでした」
「では」
「では」
「またご飯にでも」
「はい」
お互い苦笑しながら、別れた。でもどこか晴れやかな気分で僕は春の夜道を歩いて行った。
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