『ラジオ体操をする人たち』

 その日、僕はラジオ体操をしていた。
 
 朝の公園で、周りに人はほとんどいない。とはいっても、不思議な話で完全に一人でやっていたわけではなかった。

 僕の隣で女の人が、スマホから響くラジオ体操の音楽に合わせて腕を大きく振っている。

 僕はその状況に少しの違和感を覚えながらも、ラジオ体操をする。

 1・2・3・4・5・6・7・8

 せすじをおおきくのばして、せのびのたいそうー

 スローテンポな曲に合わせながら、手を動かす。子供の時はなんだかよくわからない習慣という印象しかなかったけれど、大人になってからやると節々の普段使っていない筋肉がよく伸びているのが分かる。それだけ、僕のいろんな筋肉が凝り固まってしまっているということかもしれない。

 子供のころにやったら恥ずかしかったであろうくらいピンと手を伸ばす。そう、子供のころはラジオ体操をまじめにやるというのがなんだか気恥ずかしかった気がする。周りのみんながすごいダルそうな顔をしていたからかもしれない。まあ、実際、僕もそんな顔をしていたと思うけれど。

 ただ、僕はこっそりとぴんとのばして肩に手を当てて気を付けをするというあの妙に素早い一説が好きだったりした。誰にも言ったことはないけれど。

 本気でやると、ラジオ体操といっても結構な運動だった。初日に誘われてなんとなくやったころには、感じなかった疲労感がそこにはある。取り組み方で結構違うものだと思う。なんだか、意識が高い系みたいで口に出すのが恥ずかしくて言わないけれど。

 一通り終わって、最後に深呼吸をする。

 深呼吸の意味もそういえば、大人になるまでよく知らなかった。深呼吸をしたら落ち着くというたったそんなことさえ、僕は知らなかったような気がする。

 スマホから音が鳴りやんで、ふうと息を吐いた。隣でやっていた女の人もふうと息を吐いて、手近に置いてあったペットボトルで水を飲む。ごくごくと勢いよく、水が減っていく。

 「おつかれさまでしたー」

 「・・・おつかれさまです」

 少々、テンションが高めの声が僕の頭の上から降り注いでくるので、僕は荒い息を整えながら返事を返した。

 「いやー、急にお誘いして申し訳なかったです」

 「いえ、運動不足だったんで、むしろありがたい限りです」

 「そうでしたか、それはよかった」

 あはは、とお互いにどこかぎこちなく笑いながら運動の余韻に浸る。

 「気持ちいいでしょ、朝にこうやって運動するの」

 「ですね、なかなか新鮮です」

 「へへ、でも来てくれてよかったです。なんか最近、くじけそうだったんで」

 へ?と反射的に間抜けな声が漏れた。目の前で爽快な汗を流している女性からとは思えないセリフだった。

 「いや、実は健康とかメンタルのために習慣にしようと初めて見たはいいんですけれど。最近、段々だるくなってきまして」

 「はあ」

 「さぼりがちになったり、寝過ごしたりすることが多くなってきたのでこれはいかんなーと思い」

 「ああ」

 「お誘いしたわけですな」

 「なるほど」

 「もしかしなくても、ご迷惑でしたか?」

 妙に軽い敬語で、そんな裏事情を女性は暴露してくる。僕は苦笑しつつも、妙に今までの奇妙な事態に納得していた。そういえば、二週間ほど前からこの人がラジオ体操しているのは知っていたが、確かに最近まちまちだったことがい思い返される。

 「いいえ、迷惑なんてとんでもない。運動不足には効きます」

 僕がそういうと、女の人はよかったーといって顔をほころばせた。

 「じゃあ、できれば明日もよろしくお願いします」

 びしっと敬礼の真似みたいなことをして、その人は僕に約束を取り付けてくる。僕は軽く笑って、それにうなずいた。

 「もちろん、こちらこそお願いします」

 女の人はやったと言って、顔を綻ばせた。

 「寝過ごさないでくださいね?」

 僕がそういうと、その人は軽く笑って、

 「寝過ごしませんよ、私、誰かと一緒にやったらさぼらないんですから」

 ですよね、とうなずいて、その日、僕たちは別れた。

 その日の夜にそのことを思い出して、定期で設定していた朝のアラームを少し早めに設定する。その日の夜の寝る前、そのことを思い出してラジオ体操のことを思い出しているときに、ふと思い起されたことがあった。

 そういえば、僕はラジオ体操、結構好きだったな。
 朝の時間に身体を動かすことも、あの、どことなく間の抜けた音声も、みんなで一様に動くあの感覚も。
 たぶん、誰にも。僕自身にさえ、まともに明かされることのなかった些細な秘密だ。

 ゴロン、とベッドに寝ころんだ。明日起きたら、ラジオ体操だ。

 そしてそれをやる誰かが、そこで待っている。

 目を閉じた。明日が楽しみなんていつぶりだろうか。

 そう笑って眠りについた。

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