彼女はよく言っていた。
「わたしの前世は海で死んだ人間」と。
わけを問うと、こう答えが返ってくる。
「海がきらい。特に海の中。下の方に行くほど。海底も。映像や写真を見ると、息が苦しくなって、涙が出てくる」
何故だかわからないけど、そうなるのだ、と。
だからきっと、大昔の自分は、海で死んだのだ、と。
しかし彼女がその話をすると、大抵の人間は相手にしない。きっと幼い頃に海で溺れたことがあるからだよ、などと言い、笑って流す。
しかし私は、彼女の言うことを信じているただ一人の人間だ。私はそれを確信している。
私は覚えているからだ。
薄く目を開いた彼女が波にもまれながらゆっくりと海中を漂い、海底の砂に沈み、やがて長い長い時間をかけて海の一部となっていくところを、私はこの目で見ていたからだ。
よく動く、丸く大きな目で、彼女を見ていた。
何度目かの人生で人間になる前の、遠い遠い昔。遠い、遠い昔の話。
この短編小説にはまだコメントがありません。
ぜひ一番最初のコメントを残しましょう。