『思い出ハウス(後編)』

先に前編をお読みください。

 「なんで思い出ハウスっていうのか…わかった気がします。」
 男は従業員と共に思い出ハウスの玄関に立っていた。思い出ハウスには独特の雰囲気があった。どこか懐かしい、昭和の香りが玄関に漂う。木製の柱に白く塗った木製の壁。床は使い古して褐色に変色した味のある床だった。男は靴を脱ぎ、その床を歩いてみた。ギシギシと木が鳴く。思い出ハウスの雰囲気から、男は死んだ祖父を思い出していた。祖父が向こうの扉から「よく来たな」と出迎えてくれるのではないかとすら思えた。最近はアンティーク調の家具や調度品が流行っている。少し金を持った物好きなら、この家を欲しがるに違いない。
 「本当にこの建物築十五年なんですか?どう見ても戦後に建てられたような雰囲気ですね。」
 「はい、皆さんそうおっしゃるんですけど、登記上でも、建築時の建物設計書でも建築年月日は確認できてます。間違いなく築十五年の建物ですよ。」
 いろいろと説明を受けている間に、男の心は決まった。いや、玄関に入った瞬間に決まったと言ってもいい。男はここに住まなければ、その後の人生を後悔しながら生きていくような気がしたのだった。
 男はその日のうちに契約を交わした。敷金や礼金も必要なく、今住んでいる家の敷金の返還を待たなくてもすぐに賃貸料を支払うことができた。

 思い出ハウスでの生活はそれから一週間もせずに始まった。住み始めてすぐに、男は自分が思っている以上に居心地の良い住宅だと認識した。家から出たくなくなるくらい、居心地が良い。実際男は何も予定がない時は、家の中から一歩も外に出歩かなかった。

 住み始めて一週間もしたある日、男は不思議な体験をした。突然、夕日に照らされた部屋の白い壁がスクリーン代わりとなり、映像が映ったのだ。まるで住宅が男に映画を見せるかのようにその映像は始まった。
 その日男は完全なオフ日で、一日中家の中にいた。そのため、頭を使うことは何もなく、頭の中がぼーっとしていた。ひょっとするとそんな状態の頭がその映像を作り出したのかもしれない。男はそう思いながらその壁を見た。
 はじめは何の映像かわからなかった。何となく、この家の歴史が映り出すのかもしれないと思った。しかし、しばらくその映像を見ていた男は、とある点に気がついた。その映像は、自分が幸せだった日々を断片的に映し出していたのだ。幼き頃、兄弟と山や川で遊んでいたこと。小学校の習字で優秀賞をとったこと。毎年、夏休みに家族でいった国内旅行。高校・大学受験の成功。初めての彼女。そして結婚、子供、昇進。最後は独立した日の記念撮影をしている家族の映像が映った。
 男は涙が止まらなかった。
 人にとって、思い出は美化して記憶される。男もそれは例外ではなかった。「あの頃に戻りたい」男は切実にそう思った。「今」や「未来」は不安しかない。しかし、壁に映し出された、自分の思い出は、安心感や幸福感に包まれていた。男はこの日、白い壁に顔を擦り付けていつまでも泣き続けた。

 それからというもの、男はあの映像を見るべく、夕方、時間があれば西日のささる白い壁の前に座る癖がついた。あれから何度もあの映像は男の前に現れた。いつも同じ映像ではなく、様々な過去がそこには映る。ただ、その全てはどれも幸せな過去だった。
 その映像を見ているうちに、男は自分の人生が幸せだったことに気がついた。特別裕福ではなかったし、特別優秀な人間でもなかった。それでも、精一杯生きた自分の人生は、賞賛に値する人生ではないのかと思うようになっていた。自分自身を見直すことができた男は、仕事探しも前向きな姿勢で取り組むことができるようになった。数え切れないほど会社の面接を受けた。年齢的なこともあったのだろう。いくつもの会社から不採用通知が届いた。それでも男は悲観せず、新たな会社の門を叩き続けた。

 思い出ハウスの契約満了が近づいた頃、努力の甲斐あってか、男は小さな会社の内定を手に入れた。もちろん給料や福利厚生など、妥協した点は多くあるが、それでも男は自分が努力した結果に満足していた。
 そして、契約満了最終日。男はまた西日のささる、白い壁の前に座っていた。
 「本当にありがとうございます。あなたは神か何かですか?おかげで、精神的に安定した生活を送ることができました。就職できたのもあなたのおかげだと思います。」
 男は神棚に向かっているかのように、そう言った。すると、また目の前の壁に映像が映った。そこに映ったのは就職活動に勤しむ自分自身の姿だった。映像の中の自分は、パソコンを使い様々な就職先を探していた。そして、夜遅くまで履歴書を何通も作っている。安物のスーツを着て、会社訪問をする自分もいた。何度も何度も頭を下げている。不採用通知を見てうなだれる自分。一次選考を通過して大喜びしている自分。いくつもの努力する自分の姿がそこにはあった。
 男はなぜか涙があふれた。達成感からか、就職による安堵からかわからなかった。ただただ、涙が溢れるのだった。
 何度も何度も白い壁に向かって頭を下げた。そしてこれから一層の努力をしていくことを白い壁に誓った。

 最後に白い壁に現れたのは一文の英語だった。

 It is the start of the your future
 これからがあなたの人生のスタートです。

前編・後編を一気に拝読させて頂きました。確かに思い出は美化されるかも知れませんが、このストーリー展開はとても素晴らしいです。It is restart of your future!

ゴンスケさん コメントありがとうございます。 そして最高のお褒めの言葉、とても励みになります。 今後もみんなに刺さるような作品を生み出せればと思います。