『幼馴染』

 冬休みが明け、今日から三学期が始まる。
学校はあまり好きではない。できることなら行きたくはないが、そういうわけにはいかない。そんな事を考えながら教室の扉を開けた。
すると、目の前には優が立っていた。教室を出る所だったのだろうか。
優は目の前に突然現れた僕に驚いた様子だったがすぐに笑顔になり、右手を軽く上げて、
「おはよう。ちょっぴり久しぶりだね。」
と挨拶をしてくれた。
「お、おはよう!えっと…明けましておめでとう!」
慌てて返した。新年のご挨拶付きだ。
「うん、おめでとう。今年もよろしくね。」
優は微笑みそう言った。かわいい。
その美しくも控えめな声を聞くだけで、先程までの鬱屈とした感情は何処かへ消え去ってしまう。
優はお淑やかで優しい。他人の悪口を絶対に言わない。それに加え、他者肯定感が強い。この薄汚れた現代社会に咲いた一輪の希望の花と言ったところだろうか。
僕はそんな優の事が好きなのだ。優とこうして挨拶を交わせられただけで学校に来た甲斐があったというものである。
僕と彼女は幼馴染で昔から交流があり、彼女の事は大抵の事なら知っているつもりだ。好きな食べ物、好きな色、使っているシャンプー、身に付けている下着のメーカー等々だ。
それが僕の唯一のアイデンティティーなのだ。
 冬休みは近所に住んでいるのにも関わらず、一度も会えず、それはもう空虚な日々を過ごしたものだ。だが、そのお陰かこうして学校で会えた事が喜びをより一層高めた。
 久しぶりに会う優は相変わらず美しい。
しかし、明らかに違う箇所がある。右目だ。
眼帯が付いている。もう触れずにはいられない。
「その右目どうしたの?」
僕は聞いた。
「えへへ、やっぱり気になるよね。今日一緒
に帰ろ?その時に話すね。」
優は何だか嬉しそうだった。
 優と一緒に帰れる。それだけで叫び出したい程嬉しいのだが、やはり右目の事がどうも引っ掛かる。彼女自身、深刻そうでなかった辺り、ものもらいとか?
でも、それならそうと言うはずだ。まさか、僕と一緒に帰る口実が欲しかったとか!?
うおおおおおおおお…好き…。
童貞丸出しの考えのお陰か校長の話が短く感じた。
 今日は始業式だけだった。教室で仲良し度微妙な友人達に別れをし、近くにある小さな公園へと向かった。優も友人達と色々話したいだろうし、一緒に帰る所を誰かに勘違いされるかもしれない。
僕は良いけどね!
時間をずらす為にも待ち合わせを公園にした
のだ。
公園には誰もいない。時間潰しにブランコを漕ぐことにした。それから、10分程経って、僕が酔い始めてしまったので、漕ぐのを止めたら突然背中を何者かに軽く押された。再びブランコが揺れ始める。吐きそうになりながらも後ろを振り返ると優が立っていた。
「はぁ、はぁ…お待たせ、ごめんね。待たせたよね?」
少し息を切らしたように優は言った。走ってきたのだろう。
「…ぜ、全然!今着いたとこ。」
逆流して来た朝飯を飲み込み答えた。
なんだか、デートみたいだ。
 優は僕の右隣のブランコに座った。
「あのね、この右目なんだけどね」
優は切り出した。
「実はね、彼氏に潰されちゃったの」
優そうは言った。
ん?
潰された?
彼氏に?
意味が分からない。
彼女はいったい何を言っているのだろうか。
理解できない。
しかし、それ以上に理解できない事があった。
彼女がとても笑顔だということだ。辛い状況で、誤魔化すような弱弱しい笑みではなく、心の底から幸せである、そんな顔だ。
「私の彼氏ね、すっごく優しいんだけどエッチしてる時は少し乱暴でね」
優は眼帯を愛おしそうに撫でながら続けた。
「彼に物みたいに扱われるの凄く好きなの。
冬休みは彼の家にずっと泊まって何度もしたんだけど、本当に楽しかったなぁ。」
何の話だよ。
「大晦日の日にね、後ろから突かれてる時にね、彼が突然右目に指を突っ込んできたの。」
優はその時の事を思い出し、興奮して身震いさせた。
僕はまた吐きそうになった。
「凄く痛かった。でもね、彼がぐちゅぐちゅ指を動かす度に段々気持ち良くなったの。」
おかしい。そんなの異常だ。
「もうこの右目で何かを見ることはできない。でも、最後に見たのが彼の綺麗な右手なんて素敵でしょ。」
もう…もうやめてくれ。
「私、彼のためなら…」
「もう、やめてよ!」
自分でも驚く程大きな声が出た。
「おかしい、おかしいよ。普通じゃない。」
「何が普通じゃないの?」
優から笑顔が消えていた。
「え?そりゃだって、目を潰すとか、それで気持ち良くなってるとか、普通じゃないでしょ…異常だ」
おかしな所しかなくて上手く答えられない。
「なにそれ?それって君が普通じゃないって思ってるだけだよね?」
冷たい声で優は言った。
「なんで優はこんな事が普通だと思うの?」
僕は不思議で堪らなかった。
「普通なものは普通なんだよ。こんなにも幸せなのに、やっと手に入れた幸せなのにそれを普通じゃないなんて、ひどいよ」
優は続ける。
「他人の幸せにいちいち口出しする君の方がよっぽど普通じゃないし、異常だよ。君にとっての普通を私に押しつけないで…気持ち悪い。」
そう言って優は帰って行った。僕はしばら
くそこから動く事ができなかった。
 僕が好きだったお淑やかで優しい優は変わってしまっていた。
いや、違う。
きっと変わってなんていない。
アレが普通の優なのだ。
お淑やかで優しいそれが優だと思っていた。思い込んでいた。
思い込んで、押しつけていた。
だから、優だって普通にセックスだってするし、普通に他人を卑下し否定する。
僕は優の好きな部分だけしか見てこなかった。
好きな部分以外は見ようとしてこなかったのかもしれない。
優はただ彼氏と仲の良い普通の女の子なのだ。
 そうか。そうなのだ。何がおかしいとかじゃない。何もおかしくなんかない。
全て普通のことだ。
だから、今日という一日やこんな失恋も普通のこと。
 そう思わなければきっと僕は普通でいられない。

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