『箱の中身』

1900年代のイギリス、急激に産業が発展していった時代。多くの国民が豊かになったせいか、消費癖が蔓延していた。また、たくさんの物が町中にあふれかえり、イギリス本来の美しさは見る影もなかった。

そんな中、貧しく質素な生活を強いられている親子がいた。娘のエミリーは5歳。高級宝石店で売られているダイヤのような大きな目とサファイアのような青い瞳をもつ女の子。学校には行けず、おうちでお人形遊びをするのがエミリーの日課だった。もちろんそのお人形も町で拾ったものだ。父親はおとなしく口数の少ないわけもあってか、働いていた職場で不当にリストラにあった。学(がく)がないため再就職ができず、低賃金の長時間労働を強いられていた。

「パパ、おかえり!今日はどうだった?」エミリーは夜遅くに帰ってくる父親に勢いをつけてハグをした。土と油とよく分からない化学薬品の匂いが染み込んだズボンには、誰も近づきたくない匂いを放っていたが、そんなことは関係なくその日もエミリーは父親におかえりをした。
「今日はね、汽車の線路を作るために大きな穴を掘っていたんだが、太っちょで意地悪なおじさんがそこにはまっちゃって、それはもう大変だったんだよ。」父親は疲れ切っていたが、最後の力を振り絞ってエミリーを抱きかかえ、いつも、お話しをしてあげていた。
「どうやっておじさんは抜け出したの?」とエミリーが聞くと、「土の中のもぐらさんがおじさんのお尻を蹴飛ばしたんだ。そうするとおじさんがすぽーんと抜けて隣町まで飛んでいっちゃったんだよ。」
「おじさんはかえってくるの?」とエミリーが心配そうな声で聞くと「ああ、かえってくるよ。パパが作っている線路が完成したら汽車でね。」とエミリーの髪を優しくなでた。
そのあと、お話しを聞いて満足したエミリーは夜遅いせいもあって、ベッドにゴロンとなって眠りについた。父親はお人形をエミリーの横に置いた後に、自分のベッドに死んだように眠る日々を過ごしていた。

ある日、父親は仕事仲間から良い仕事先を紹介してもらい、運がよかったら就職できるかもしれないと言われた。大きな機械に特別な文字や数字を打ち込んで、いろいろなことを計算したり予測したりするコンピューターといわれるものを使うと聞いていたが父親にとっては、仕事内容はどうでもよかった。
一世一代のチャンスがめぐってきた父親は新しい仕事に就けるように、綺麗なリボンと箱を購入した。当時のイギリスでは、履歴書代わりの紙を箱の中に入れ、きれいなリボンで装飾して面接に持参するというのが、尊敬と熱意を表す唯一の方法だった。
もちろん、リボンと箱は安くはない。低賃金の父親にとっては、人生をかけた博打といってもいいぐらいの決断だった。

「パパ、おかえり!今日はどうだった?」エミリーが聞くと父親は
「今日は魔法の道具を買ってきたんだ。」と父親はエミリーを抱きかかえながら言った。
「えー!なになに?みせてー」というと、父親は綺麗なリボンと箱を見せてあげた。エミリーが触ろうとすると
「だめだめ。この魔法の道具は大切なことにしか使っちゃいけないんだ」といって、机の上においた。

次の日、父親は仕事が終わった後、急いで帰ってきた。部屋に入るやいなや、机を見たが、そこには何にもなかった。父親が血眼になってリボンと箱を探している間、エミリーがそっと出てきて、「パパ、誕生日おめでとう!」と驚かせた。
エミリーの手には、お世辞にも綺麗とは言えない感じで装飾された箱があった。
「エミリー、一体これは何なんだ!」父親は人生で初めて大きな声で怒りを表し、その声にエミリーはびくびくしながら答えた。
「今日、パパの誕生日だから、魔法の道具でプレゼント作ったの。喜んでもらいたくて・・・」
父親は落胆と絶望が入り混じった溜息をつき、依然として怒りのこもった口調でエミリーに言った。
「どうして、何も入ってない箱にリボンを使ったんだ。これはパパが新しい仕事に就くために、用意したものなんだぞ。」
エミリーは泣きながら言った
「空(から)っぽじゃないもん」
父親は一瞬、理解できなかったが、もう一度箱を開けて、ほら空じゃないかと言った。
エミリーは

「パパがいつもお仕事頑張って疲れているのに、私のためにお話しを作ってくれているからそのお返しとして、いっぱいのキスをいれたんだもん」

父親は言葉が出なかった。いつも聞かせていたお話しを素直に信じる年齢だと思っていたがいつしか成長して、作り話だと認識していたことに。
そして、貧乏で何もしてあげることができなかった娘が、何とかして感謝を表そうとしていたことに、涙した。

父親は箱の中身から、一つ何かを取り出すしぐさをして、エミリーに言った
「ごめんよ。エミリー、このキスを一つもらってもいいかな?」
エミリーは涙を拭いてパパのほっぺにキスをした。

数日後、父親はリボンでぎこちなく装飾された箱をもって、紹介された仕事場に行った。機械が並ぶなか、父親は面接官である社長に持ってきたものを見せた。
社長はなんだそれは、と聞くと父親が答えた。
「この仕事に対する熱意です。私には最愛の娘がいます。その娘が私のためにプレゼントを作ってくれました。その娘のためなら何でもします。」
社長は、がはははと笑って、他の面接官に、私は働く理由が明確になっている者が好きなんだと話始めた。社長は、明日から早速私の下(もと)で働いてくれるかね、といって父親とかたく握手をした。

その後、父親は一生懸命働き、コンピューターの基礎原理を確立させた。
しかし、どれだけコンピュータが発達しても、愛情や思いやりは計算できないということを、エミリーがくれたキスいっぱいの箱の中にそっとしまって、大切に保管しましたとさ。

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