『想像上の幸せ、想像する幸せ』

「やあ、友人A君。今日も哲学をしようじゃないか。」

面倒な奴に絡まれた、と思いながら帰路につく。こいつは話し込みたいのか、歩くペースが遅い。
まあいいけど、と素っ気なく返す。早く帰りたいので、ペースを合わせるつもりはない。

「月並みだけれど、井戸の中のカエル君の話でもしよう。カエル君は幸せなのか、不幸せなのか。」

ああ、ことわざね。うまい肉の味を知らず、普通の肉の味しか知らない人のことだ。
だが、あのことわざに幸せを論じる部分はあっただろうか。

「そんなのカエル君にしか分からないよ。そもそもあれは、見聞が狭いことの例えでしょ?」
「見聞が狭いことは必ずしも悪いわけでは無い、と思うのだよ。知らない方が良い事なんて世の中には山程あるらしいからねえ。」

なるほど、うまい肉の味を知らない方が日常生活の満足度は高そうだ。しかし今日はどうやら、柄にもないことを考えているらしい。

「それには概ね同意だよ。淡水で生きてきたカエル君が広い海を知ったって、どうせ海水では生きていけない。カエル君の幸せはきっと、井戸の中で泳いでいることさ。」
「でも、カエル君は海で生きられないことを知らないはずさ。井戸より広い海の話を聞いてしまったら、そこで泳いでみたくなると思わないかい?」

なるほど、うまい肉のさらに上があると聞いたら食べたくなってしまうな。
だが、今日は本当にどうしたんだろう。なにかに悩みがあるのかと思い、歩調を緩めて答える。

「まあ、なるだろうね。さっきの話と合わせると、海で生きられないことを知らないカエル君が海に行って死んでしまうよりも、海を知らずに井戸の中で生きていた方が幸せってこと?」
「どれが幸せかなんて、分からないものだなと思ってね。友人A君はどう思うんだい?」

そんなの決まっている。うまい肉を食べて、さらにうまい肉に思い馳せる。これに限る。
だから僕は即答する。

「井戸の中で泳ぎながら、海を想像するカエル君が一番幸せだと思うよ。それに僕達だって今、知りもしないカエルの幸せを想像している。この帰り道の哲学タイムも、案外幸せなんじゃない。」

するとこいつは、ハッとした顔をして立ち留まった。ちょうど分かれ道だったので、またねと右手を上げる。
あいつの悩みが軽くなると良いなと思いながら、スーパーに寄って帰る。
今日もうまい肉に舌鼓を打ち、寝る前にまだ見ぬ肉の味を想像する。至福の時だ。

翌日もあいつは来た。
「やあ、友人A君。今日も哲学をしようじゃないか。帰路の岐路まで数キロね!」
満面の笑みで歩くこいつを見て、僕はため息をつきながら歩調を合わせた。

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