『泡沫の夢、常しえの夢』

世界を救う勇者になりたかった。

ピンチの時に駆けつけるヒーローになりたかった。

森羅万象を具現化する魔法使いになりたかった。

世界を股にかける商人になりたかった。

常勝無敗の戦士になりたかった。

悪を成して悪を裁くダークヒーローでもいい。

世界を恐怖に陥れる魔王でもいい。

なんでもいい。自分を特別だと思える「なにか」であれば。

世界は平凡で、退屈だ。僕はただの小市民。小市民Aにすぎない。

寝る前はワクワクする。今日は夢の中で、どんな特別になれるのだろう。

だけど毎朝、目が覚める度に絶望する。今日も世界は平常運転。

特別を求めて、散歩する。なんでもいい、なにか起きろ。

なにか起きれば、「なにか」になれるかもしれない。

洋食屋に入って、特別スペシャルオムライスを注文する。

美味いが、普通だ。これは普通に美味いオムライス。

完食したところで、財布を忘れたことに気が付いた。

店主に話して、家から財布をもってこよう。

そう思ったところで、ふと頭によぎる。

ここで食い逃げすれば「オムライスの食い逃げ犯」になれる・・・。

よし、と覚悟を決めたところで背後から声をかけられた。

「なにをするつもり?」

振り向くと、女が訝しげにこちらを窺っている。

「別に何も」

努めて冷静を装う。邪魔なやつだ。

女はこちらのテーブルを一瞥した後、一転して上機嫌に喋りかけてくる。

「変わったオムライスだったわ。ナイフとフォークで食べるなんて、特別スペシャルね。今日は気分が良いから、私がおごってあげるわ。」

そう言うと女は2人分の会計を済ませ、出ていった。変なやつだ。

あくる日も洋食屋に行くと、あの女がいた。

特別スペシャルハンバーグを注文する。あいつもきっと同じだろう。

完食したところで、女に声をかける。

「変わったハンバーグでしたね。デミグラスに見えて、味噌煮込みなんて。今日は気分が良いので、僕がおごります。」

そう言って2人分の会計を済ます。あら今日はハッピーだわ、なんて言っている。

幸せなやつだ。僕は借りを返しただけなのに。

そんなことを続けているうちに、毎朝の絶望が薄れていった。

今日も世界は平常運転。だけど、意外と悪くない。

こんな日が続けばいいなと、相も変わらず洋食屋に向かう。

女にとっての、特別になるために。

この短編小説にはまだコメントがありません。
ぜひ一番最初のコメントを残しましょう。