『金魚鉢とラズベリー』

いつもそこにあったのに、なぜかその日は、それが目について仕方がなかった。
 家の庭に置いてある、木製の棚の一番下の段、ずっと放置されたそれは、砂埃で薄く汚れて、汚らしかった。それなのに傷ひとつついていない。指でつう、となぞれば、私の指の太さのラインが、砂で薄汚れた表面に引かれた、そのまま曲線を上へとなぞり、淵の波をゆるゆると撫でていく。なんともまあ、可愛い形状。抱えてみれば、すっぽりと両腕に収まった。例えるなら、バスケットボールぐらいの、多分。まあ、最近やった球技がバスケットボールだっただけで、サッカーでもバレーボールでも、私の中では大差ないのだけれど。だいたいそれくらい。

「で、持ってきたんだ」
 美穂の話を聞きながら、教室には異質なそれを眺める。美穂の話じゃ、「薄汚れた」と言っていたけれど、私の目の前にあるそれは、窓から差し込む光を浴びて、きらきらと輝いていた。生き物もいないのに、くぼみの部分までたっぷりの水を抱えて。
「だってなんだか、収まりが良くて」
 それだったら、下駄箱にでも置いておけばいいのに。
「わざわざ洗って、磨いて」
「せっかくだしさ、あってもいいじゃない」
 何もいないのに、綺麗なだけの金魚鉢。
 入れ物だけで、空っぽの、透明。
 こんな何もない器に、どうしてそんなに愛着が持てるのだろうか。
 羨ましい。そんな感情が溢れて、一体何に対してなのかと自重する。金魚鉢に対してか、それを慈しむことができる、美穂に対してか。
 
 手に持っていた袋から、ラズベリーを取り出して、金魚鉢に入れた。質量を持ったそれは、ちっとも泳がずにまっすぐ底へと落ちていった。
「死んでる」
「え、もったいない」
 私が放った言葉と、美穂が発した言葉が重なった。
「弥生、ラズベリーいらなかったの?」
 そう言うわけじゃないのだけれど、そう言うことにしておこう。
「だって、酸っぱいし」
 きっと君にはわからないから。
 この透明を、厭だと思ってしまう私の気持ちが。寂しいと思ってしまう、私の心が。

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