『平行線』

「私ね、まだ、男の人と寝る素晴らしさを知らないの」
 カフェの中、2人の若い男女で語り合うさまは果たして、恋人同士に必ず見えるものなのだろうか。
「寝たことはあるのよ。でもね、どうしてだか、全然気持ちよくないのよ」
 アイスコーヒーの入ったコップは水滴がついて湿っていた。つかんだ時の感覚が不快で、僕はタオルで手を拭った。
「あ~、心が満たされないっていうか、体はね優秀だからきちんと快楽を拾ってくれるのだけど、なんだか物足りないの」
 氷が少し溶けたコーヒーってどうしてこんなにまずいのだろう。
「私、どうしたらいいのかしら?」
 そんなこと僕にきかれたって困る。
「じゃあ、僕と寝る?」
「あんたとはセックスしたくない。セックスする友達にはなりたくないし、想像しただけでもゲロが出そう」
「随分ひどい言い方するね、お前って」
「あら、だって愛しているものあんたのこと」
「僕も愛しているよ。もちろん、体だって同じさ」
「それは嫌」
 この美しい女に惑わされ狂わされた男がどれだけいることか。コップに口づけ、紅茶を飲み込むと喉が少し動いて、彼女はうっとりとほほ笑むのだった。その瞬間針が止まったような、僕と彼女だけの空間が作られる。
「今付き合っているあんたの女、あんまり素敵じゃないのね。あんた、打算で付き合ったのね」
 僕は思わずむせた。
「図星ね」
 そして、彼女はふふっと独特な笑い方をした。
「だったらなんだよ。お前は僕のことならなんでもお見通しでまったく恐れ入るよ」
「なんでもじゃないわ、知っていることなんて数えるくらいよ」
「じゃあ、何を知っているの?」
 彼女は考えるような素振りをしながらその実、ただケーキを頬張っただけだった。
「あんたと今の女が合わないってこと、あんたが私を愛しているってことと、あとは小学2年生のときにおしっこ漏らして泣いたことがあるってこと」
 最後の1つは余計じゃないか。あれは今思い出しても、頬が熱を持つ。
「これだから、昔馴染みは嫌になる」
 僕はわざとらしくため息をつく。
「僕もお前のことならいくつか知っているよ」
「何を知っているの?気になるわ」
 嬉しそうな瞳とともに溶けた氷が音を立てる。
「お前はいろんな男を虜にするけど満たされないってこと、お前は俺を愛しているってことと、それでいて俺のことは一切異性としてみないくせに何かあると俺を呼び出すこと」
「あたり、だけど1個間違い」
「どれが?」
「あんたのことちゃんと異性だと思っているよ。だから2人きりで密室になるようなところに行かないじゃない」
 確かに。
「じゃあ、僕はお前にとっての何?」
「愛しい私の男友達」
 嘘つけ、ただの都合のいい相手さ。
「そう、どうも。僕、この後合コンあるから、先に行くね」
「うん、今日は付き合ってくれてありがとう」
 まだ行かないで、なんて彼女が言うはずもないというのに、僕は甘い期待を抱いていってみた。僕は立ち上がり、彼女のほうをちらりと見た。ひらひらと手は降られていたが、視線はすでに違う場所に注がれていて、胸が痛んだ。
 待ち合わせ場所に向かう道すがら、足はゆっくりと進む。後ろ髪を引かれるのはいつでも僕のほうで、彼女をやっぱり家まで送れば良かったのかと、自問自答してしまう。僕ってどうしてこんなにも彼女のこと好きになのだろう。考えたところで意味がないっているのに、僕の脳みそは働き続ける。
 そもそも、だ。彼女は昨日見たテレビ番組の話をするように、男のことを語る。まったく、僕のことを何と思っているのだろうか。僕は彼女のことを1度も抱いたこともなければ、口づけだって数えるくらいしかしていない。だというのに、彼女のことをよく知りもしない昨日今日あった男には簡単に抱かれる。一体どういうことなのだ!僕のほうが彼女のことを愛しているし、彼女もその他大勢の男どもよりも僕のことを愛している。だけどその一方で、抱かなくても会えるのは僕だけだという優越感があるのも否めない。
 待ち合わせ場所にはすでに何人か集まっていて、僕はその光景をぼんやりと見つめる。
「よっ、何ぼおっとしてたん」
 後ろからきた同級生が軽く肩を叩いた。
「可愛い女の子たちを見つめてた」
 合コンに来た女の子たちは可愛らしい。だけども、決して彼女たちのことを愛しいだなんて僕は思わないのだ。
「それはおめがねにかなうようで何より、行くか」
 彼と早足で待ち合わせ場所へと向かった。

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