『埼玉県境踏破記録 ~5 オリジナル馬蹄形ルートの開拓~ 』

赤岩尾根の後には、バラエティーに富んだ山歩きを始める。群馬に住む大勢の山友達と妙義山で岩だらけのコースを楽しく登った。大学の友人や山友達の妹を連れて蓼科山へお見合い登山をして、山頂からの景色に大満足して貰った。父親と2月の真冬に八ヶ岳に行って、稜線の強風にやられ体感温度はマイナス20℃にもなった。寒いというより痛いと感じたのは初めてで、顔を露出できずタオルを顔に巻いていたら、息の当たっている部分が凍結し、父親の写真を撮ったら、映画八甲田山の遭難者に見えたほどだった。
その頃、後に結婚する彼女とも出会い、一緒に御嶽山に登ったりもしていた。
9月後半には閉山後の富士山にも単独で御殿場ルートを登った。夜12時から登り始めて有名な最高地点に登頂したのが朝の9時、つまり9時間も大休止休なしで登った。下りは走ると転んで危険なので早歩きだったけれど、まさかの2時間で下山完了。登るのが遅いのか、下るのが早いのか、たぶん前者である。
照は経験を積んでしまい、一般的な日帰り登山では満足できなくなっていた。雲取山の西にある和名倉山は埼玉にある山だが、埼玉からのルートは廃道に近く、山梨県から登るのが一般的な珍しい山だ。 まだ登山を始めて一年しか経っていない時に埼玉側のルートを友人と歩いたことがある。当初は一人で行くつもりだったが、ネットの知り合いから『死ぬ気か?』と忠告を受けて、急遽応援をお願いした。他人の登山レポートを参照したところ、往復10時間もあれば余裕のコースに見えた。が、実際に歩くと急斜面で体力を奪われ、いきなり道が消える迷う場所もあり、日の出を時刻に入山したのに、下山時刻は日没ギリギリであった。『他人の登山レポートを鵜呑みにしたらダメだ』そんな教訓が得られた山行であった。その苦労した山をまた登りたくなってしまったのは、山頂付近の景色と、行ってみたい山小屋があったからだ。
GWの初日、二瀬ダムから雲取山神社に向かう道の途中に車を停めて、いざ!と気合を入れる。2回目だけど今回は単独、気を引き締めて歩き出す。埼玉大学の寮から頼りない吊り橋でダム湖を渡り、杉林の樹林帯を登る。斜度があるのでキツイが、暫くすると杉は落葉松(カラマツ)に変わり、明るい道となった。疲れが溜まってきた頃に、電波反射板の跡地に到着、ここは山間の集落にテレビやラジオの放送電波を届けるために巨大な鉄板を置いていた場所だ。
そこから水平の森林軌道を一時間歩く、一旦身体をクールダウンできる。戦後の住宅建築のため、この山は完全に伐採された、木材を運び出すために線路まで敷かれたのだ。所々に車輪が転がっていて、中には木の根元に食い込んだものもある。誰かがここでベンチプレスをする写真を挙げていたのが印象的だった。森林軌道の終点は小屋の跡になっているが、ここが迷いポイントで前回は20分くらいロスした。今回はすぐに目印を見付けることができて、背の高さを超えるスズタケの藪に突入する。ここもかつては迷い道であったようだが、笹や竹は何十年かで一斉に枯れる。それで枯れたようで、歩く道は踏み倒されて迷う方が難しくなっていた。
ここからは景色が良くなる、登山者と1名すれ違った、『お互いにここで人と会うとは』という表情だったに違いない。苔むした瑞々しい、倒木さえも絵になる、この景色に照は癒された。山頂へ行くには山小屋へのルートから15分ほど逸れてしまう、今回も時間は掛かっていて、もう12時直前であったため、山頂はパスすることにした。その理由はもう1つ、山頂から景色は全く無いからである。青木ヶ原樹海より樹木の密集度合いは酷く、倒木だらけ、360度密集した木しか見えないそんな環境はここでしか経験がない。
軽く昼食を摂って再び歩き出す、歩いてきたルートより荒廃の進んだルートとの合流地点、踏み跡さえも見当たらなかった。そこには杭があって大学名が記されていた、『東洋大学・・・』。我が出身校であった。
落葉松の樹林帯を抜けると、笹藪が現れたがスズタケよりも全然問題はなく、1日目のウイニングロードと言った気持ちで、のんびり歩いていた。父親から単独登山をするんだったら、無線機を持ち歩きなさいと指示があり、アマチュア無線の資格を取得して、ハンディ無線機を持ち歩いていた。山を歩いていて退屈な時は無線機のアンテナ先端ネジ部を指でクルクル回していた。もうすぐで終わりと思った時、先端ネジ部が無いことに気付く。笹藪の中に落としまして、見付けられる筈がありませんでした。(‐人‐)
県境との合流地点に到着し、本日のお宿は目の前だ、そう思った時に矢先足元の石碑が目に入る。『◯◯君ここに眠る、東洋大学大学ワンゲル部』遭難碑だった。かなり昔の出来事のようで、ワンゲル部だった大学の友人浅田氏に聞いても何も知らなかった。
稜線から五分程で将監小屋に到着、まだ2時過ぎだったのでテン場(テントを張れる場所)は空いていた。
小屋で受付をして、ビール一本を購入。今回は初めてツエルト(簡易テント)で一晩過ごしてみることにした。高さは腰まで、幅と奥行きはシングルベッドくらいの大きさ、畳むと手のひらサイズになってしまうので、雨さえ無ければ照はこれで満足だった。
ツエルトを張り終えて一杯やってから、ジャバジャバ出ている水場で軽く洗濯。そして、ぽへぇ~としている時間がまた贅沢である。テン場は次々と埋まってきた、さすがGWであり、マニアに人気の場所でもある。しかし、周りはちゃんとした登山用テントであり、ツエルトを張っているのは、照と爺さんだけであった。
日が沈み就寝を試みたが、その水場の音が癒し系なんだけど、ジャバジャバが少しうるさい。隣のテントがうるさいより全然嫌ではないのだが、気になってしまう。何とここは携帯電波が届くので、大学の友人と飲み会の予定を連絡しあっていた。
翌朝、清々しく目が覚めたが、前日の疲れがあるようだったが、2日目はそれより楽なルートである。荷造りして歩き出す、やっぱり疲れているのか、ペースが上がらない。落ちている枝を路肩に避けたり、倒木を除去しながら歩いて気を紛らして歩く。ここは山梨との県境で雲取山まで行けば既に歩いた部分と繋げることができる。元気があれば、本当の県境が通っている小ピークの上を歩くのだが、ピークを巻いている登山道を歩くことにした。雲取山荘に泊まったと思われる大きなザックを背負った人とたくさんすれ違う。雲取山の手前、三条のコルに着くと熊鈴をガラガラ鳴らしながら熊鈴ガールズが三条の湯コースから合流してきた。ふと左の樹林帯を見ると鹿が数頭走って逃げて振り返って様子を見ていた。『鹿がいるよ』照は独り言のように声を発すると、『えっ、どこ?』と女性。『あれだよ』とストックで鹿を指し示す、女性が視線を合わせるために寄り添う。『見知らぬ女性と一瞬でやたら近い』そんな思っていた。『ホントだ、鹿だ、カワイイ!』そんな風に喜ぶ女性に対して、『熊もいるよ』と照は言うと『えっ、そうなの?やだ』と熊鈴ガールズは言い放ったのであった。照は『何のための熊鈴だ』と突っ込めずに終わった。
山頂を経由して三峰ルートで下山完了し、路線バスで駐車場に降り立ち無事終了した。
【歩行距離34km、行動時間19h、県境13km】

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