『埼玉県境踏破記録 ~6 県境歩きに目覚めた~ 』

登山経験が増えると、更に難しいルート、行きたいルートの幅が広がる。
以前に多摩川、富士川、荒川、信濃川の源流を歩いたことから、他の河川の源流にも行ってみたいと思った。埼玉県民なので身近な利根川は特別な存在であり、興味が沸いたが何処に源流があるのか。調べると群馬県の最北端、遡上した場合、沢を遡上する場合はダム湖から2泊3日の工程になるとか。新潟県側からは比較的行きやすい。そんな情報を入手し、和名倉山に一緒に登った友人とGWに踏み込んだが残雪に苦しめられ、更に上部は急斜面で滑ったら即死ということに照は自ら撤退を申し出た。そのリベンジ企画として、群馬のベテラン3人と中ノ岳経由で源流のある大水上山を縦走したのであった。お腹が弱いので、源頭の残雪は味見しなかったが、同行のオバサマはザックからかき氷シロップを取り出し、何度も天然雪のかき氷を食べていた。
谷川岳の馬蹄形にも単独で挑戦した。当初は馬蹄形と主脈縦走を組み合わせた2泊3日の山行を計画して、初日は夜中2時半に白毛門登山口から入山し、白毛門で朝日を拝み茂倉避難小屋で一日目を終える予定だった。天候がイマイチ悪く、更に体調が悪くペースが上がらず、馬蹄の中間地点、清水峠にある白崩避難小屋で1泊して、翌日は谷川岳まで縦走して西黒尾根を下って馬蹄形を何とか完了した。
以前、深夜のテレビ番組で県境を歩いて、東京湾から新潟?の日本海まで歩いてみようって企画があって、元自衛隊の全く売れないお笑い芸人コンビが、都市部から山間部まで毎週歩いているのを見て、県境には少しだけ興味はあった。大水上山、谷川岳馬蹄形はまさに県境であり、群馬の県境踏破は困難なルートがありすぎるため、埼玉なら行けるんじゃないか、そんな気持ちが出てきたのであった。
埼玉県一周は、都市部が面倒になってしまうので、山間部だけにしよう。さらに区間は都県境の東側は車道が通っている飯能の小沢峠、群馬県との県境は下久保ダムとすることにした。そこでまずは小沢峠から入山してミツドッケにある一杯水避難小屋に泊まり周回して飯能の名郷に降りるルートを計画した。
日帰り温泉さわらびの湯に車を停めて、1時間ほど車道を歩いて小沢峠に向かう。2月なのでちょっと寒く感じる、食料と宿泊装備の他に寝るときに寒くないよう防寒着やシュラフは一式持っているため、結構荷物は重かった。県境にあるトンネル入り口の手前に峠に上がる踏み後がある、これが登山道である。静かな樹林帯で一人黙々と歩を進めると次第に雪道に変わった。二時間半後に過去に登ったことのあるハイキングルートで有名な棒ノ折山に辿り着いた。ここは普段ならばハイカーで賑やかなだけど、今日は誰一人見られない。東屋で軽く食事をして、稜線を西方向にまた歩き出した。『西に』と考えながら先行者の足跡を追って歩いていたら、結構下り始めて、更に沢の音まで聞こえ始めた。『あっ、道を間違えたな』照は初めての道間違いと登り返しに焦った。メンタルダメージが大きい。その後は景色に変化はなく退屈なのに、地味に急な雪道を歩いた。天気が良くて気温が上昇しているため、雪が解けてグズグズなので、足も取られるし、靴の中も湿ってきた。後方からトレランが来た、話すと名栗湖を一周するらしい。普段ならばコースタイムの70~80%で歩けるのに、疲れで120%にもなっていた。雪道の歩行訓練と称し、軽アイゼンを使わなかったことを後悔した。
登りが終わる日向沢の峰に着いた時には疲労困憊だったが、あと2時間も歩けば一杯水避難小屋に着くからもう少しの辛抱だ。雪が深くなってツボ足に苦戦するが、あともう少しと言い聞かせて蕎麦粒山まで歩いてこれた。蕎麦粒山から仙元峠を経由して30分で小屋であったが、仙元峠を前にして戦意喪失する。理由は目の前にある細い登山道に残雪があって、あまりに危険で通ることができないと判断したからだ。照は『だめだ、あれを越える勇気は自分にはない。ここにツエルトを張ろう』と呟き、野営を覚悟した。まだ4時、明るいうちに寒さ対策と食事を済まして、夜に備えた。陽が落ちると、鹿の鳴き声がひっきりなしに『ピー、ピー、ピー』と聞こえる。2月なのでクマは冬眠中であるから、それだけは安心材料であった。山頂直下の稜線であったので、風も当たるし、気温はグングン下がっていた。靴には乾燥のためにトイレットペーパーを詰め込んで、持ってきた衣類・レインウエアは全て着込んで、ダウンジャケット足元が冷えないようにシュラフの奥に詰め込んだ。相変わらず寝付きが悪いため、翌朝のシミュレーションを繰り返す。体調・天候が悪かった場合に一番安全に下山できる方法、予定通り降りられなかった場合の判断基準など。12時から3時までは熟睡できたが、目が覚めた時にツエルトが半分崩壊していた。風で結び目が緩んで解けたようだ、天井からは冷たい何かが降ってくる。自分の息が結露して氷結したものだった。恐らく気温は氷点下5度以下になっていたのだろう。
朝日が上がってきたので、食事を済まして最終判断、天候・体調ともに良好のため、計画通りのルートで下山を開始する。昨日の腐った雪は凍結していて埋まらずに快適に歩けた。今日は6本爪アイゼンを装着しているため、歩きやすい。秩父と飯能の市境の登山道を3時間ほど歩いて、採石場に降り立った。あとは車道歩きであるが、水分もエネルギーも足りていない。『何とか生きて帰って来れた』と思いつつ、タラタラ歩いてバス停に到着、自販機で買ったコーラは人生の中で一番旨かった。バスは照一人だけを乗せて、さわらびの湯に到着した。計画よりも短い行程となったが、残雪期のリスク管理という点では、良い経験になった。リスクが高かったことは反省すべき点でもあった。
【歩行距離30km、行動時間15h、県境12km】

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