『花狂い』

 伝染病が流行し始め、もう三週間になる。政府からは外出の自粛が叫ばれている。日曜日、近所の商店街は昼食を求める人々がコソコソと出歩いている。僕もその一人だ。全員がマスクをし、距離を取り合いながら静かにすれ違う。ガランとした定食屋に入る。半地下だが比較的広く、学校の教室ほどはある。店員はいつもの一人。30代前半の小柄だが、ガタイの良い男性だ。おそらく体育会系だっただろう。僕は入り口に近いテーブルに座り、定食を注文する。店の外をボーっと眺めながら唐揚げを静かに口へ運ぶ。すると、初老の女性が一人、急に店の前で足を止めた。地味なニットのセーターと帽子を被っている。「なんで店やってんの?!お金払ってないんだから勝手なことするな!」と、激昂しながら店頭のメニュー表を破り散らし、入り口のドアをガンガン蹴り始めた。おそらくここの家主だろう。伝染病のせいで客が減り、家賃でさえ稼げないのは周知であるのに…。慌てて店仕舞いをする店員になおも雑言を浴びせ続ける。なんとか女性を追い出し、嵐が過ぎるのを待った。僕は、店員が落ち着いたところを見計らって「こんな状況なのに、酷いですね。」とポツポツ言葉を交わしながら会計を済ませ、店を出た。この伝染病はきっと人を狂わせる病なのだろうと僕は思った。そそくさと帰宅し、ワンルームの天井を見上げる。バラ、カーネーション、トルコキキョウ、ラナンキュラス、スターチス、カスミソウ、アジサイ、ミモザ、ラベンダーの花々が僕を迎えてくれる。人に会えず、寂しくなった僕は、花を買ってきてはしばらく愛でて、天井に張った麻糸の網に、花々を逆さ吊りにしていた。三週間ほど前からドライフラワーを作るのが日課になり、すでに天井はほぼ花で埋まっていた。僕もきっと感染しているのだ。

この短編小説にはまだコメントがありません。
ぜひ一番最初のコメントを残しましょう。