『埼玉県境踏破記録 ~9 お気軽?雪山ハイキング~ 』

照の勤め先は大企業の1つ手前の中規模のメーカーであってありながら、実業団チームも持っていた。同期入社には、日体大や国士舘大出身のガチスポーツマンもいて、その中の1人が最近メタボに悩み、山に連れていってくれよと言い出した。武甲山や雲取山、浅間山、蓼科山を一緒に登った、いずれもドMコースでね。山に行くならトコトン山に向き合って、達成感を得て欲しかったという愛情の現れである。
それ以外にも照は攻めた山行を繰り返していて、奥多摩駅から三頭山の避難小屋泊で高尾山に抜けたり、南アルプスの広河原ー北岳ー間ノ岳ー両俣小屋ー仙丈ヶ岳ー北沢峠を単独で歩いたり、谷川岳の破線ルートである中芝新道を幸雄とアニキ(実兄ではない)と歩いたり、そんなアドベンチャー的な山行を繰り返していた。
春を待ちきれずに、群馬との県境を歩きたいと思っていて、群馬の山友である虎男が一緒に歩きたいと言ってくれた。予定では小鹿野二子山の東側を歩くはずであったが、まだ凍結が激しく、先日降った雪で林道が走れるか不安だった。
当日の朝、現地で合流してコース選択の最終判断をした結果、安全策で行こうとなった。安全策は二子山の東側を諦めて、赤岩尾根側を歩くことにした。同行してくれるだけで有難い、そして新しく入手したハンディGPS用のソフトを譲ってくれると言ってくれたのも嬉しかった。
二子山の登山口に照の車をデポして、虎男の車で志賀坂峠の駐車場に移動した。前情報どおり駐車場はスケートリンクのように凍結していて、自分の車で来なくて良かったと胸をなで下ろしていた。
登り始めから軽い雪道であった、登りならばアイゼンは要らないだろう、照は判断して緩い勾配の登山道を歩いていた。ここは雪さえなければ平行する林道を車で走れるので、この道を歩く人なんて単なる物好きである。その物好きが今日は二人いたわけだ。地味な樹林鯛の登山道だったが、虎男と2人で山に入るのは初めてだったから、最初に出会った時の話で盛り上がった。照は登山を始めたばかりの時に、登山ブームで若い人(主に女性)との出会いを求めて、SNSで登山コミュニティに属して、登山イベントに参加したのをきっかけに、自分でも登山イベントを企画していた。伊豆ヶ岳、蕨山、棒ノ折、小鹿野二子山、雁坂峠、結構な数を企画していて、参加者は自然と20才から35才の年齢幅だった。たまにベテランの50才が参加して話が合わずに馴染めなかったこともあった。その当時、参加希望してくれた虎男も50才近くであり、照は『年齢若めのメンバーですけど、大事ですか?』と聞いたのだが、あまり印象が良くなかったらしく、『ここは若いもんの集まりだから年寄りお断りだぜ!』と捉えられてしまったようだった。それを歩きながらカミングアウトされて、『全く悪気はなくて・・・』と謝っていた照に対して、虎男は笑っていた。
登山道と平行して走っている林道は、クネクネと距離だけ長いが、狭い尾根に出た時だけは、登山道が林道と合流する。通行止めの林道には、何故か軽トラが停まっていた、山菜採りには早いから狩猟かなのかな。それを横目に再び登山道へ戻り、両神山の展望の良い伐採地を通過して、踏破済みの赤岩尾根と本日の目的地である蓬莱山が見えてきた。手前の諏訪山の山頂に着くとお社があり、神社好きな虎男は丁寧に参拝し、再び歩き出す。雪はあまり深くなることはなく、山頂直下にある急斜面に差し掛かる。あまり人が通る場所ではないため、登山道がはっきりせず、さすがに登りにくい。立ち木に捕まって、身体を持ち上げて、ゼーハー言いながら何とか登頂。目の前には赤岩尾根のP1の北壁が影になって、迫力を増してそそりたっていた。あの壁は無雪期でも立ち木に捕まってよじ登る必要があり、今日のような雪が付いている日には登れる気がしなかった。『直下まで行きたいな』照は提案したが、虎男は乗って来なかったので、安全を見て照も終わりとした。
お昼には早かったので、少し戻って日当たりの良い伐採地で食べようとなった。下りは照は6本爪アイゼンを付けたが、虎男は持ってこなかったと言い、そのまま歩いた。虎男の昼食はいつも『蒙古タンメン中本のカップ麺』であり、怖いもの見たさで食べてみたい気もしていた。照はいつものようにおにぎりだけであった。
一旦登山口のある峠に戻ってから、次は反対側の二子山を目指して、急坂を登って行く。虎男は身長が高く、足が長いためか、普段から歩くペースが早く照は置いていかれた。いつもの県境ならば、1人でのんびり歩くのだが、今日は珍しく2人であって自分のペースではなくなる。急坂の先には叶山という石灰石の採石場があって、虎男は照を待つ間、そっちに偵察に行っていた。小ピークの登りきった照は見当たらない虎男の名前を呼んで、何処に居るのか探してしまった。
そこから歩きやすい小さな稜線で、目の前には見たことの無いアングルの二子山がドーンと待ち構えていた。虎男は珍しく興奮していた、聞くと初めての場所はテンション上がるらしい。そして二子山の西端にある下山道と合流した。『今日は山頂に行かなくてもいいよね?』虎男は照に確認した。照も『今日は満足だよ』と伝え、南側の迂回路を通って、二子山中央にある股峠に行って、登山道で駐車場に戻る予定だった。
ここからは昔から何度も歩いた道、気を緩めて歩いてしまったのであった。ローソク岩への分岐で虎男は寄り道をしたいと言ってきた。照はそれを許容し、そのまま先を行き、股峠で落ち合おうとした。虎男と別れて歩くと照は登山道を見失った。『あれ?そんなはずはないだろ?えっ?うそ?えーー?(只今混乱中)』一旦先ほどの分岐まで戻って、虎男の名前を呼んでみたが反応はなく、虎男の後を追わずにまた登山道が消えた所に行って周りを見渡した。記憶と違う方向に踏み痕があったが、それは股峠ではなく、車のある登山口方面に向かっていた。少し行ってみるかと下り始めると、小鹿野山岳会のプレートがあって安心して、そのまま降り続けた。『とりあえず登山口の方向だから大丈夫だ』と安心しかけた気持ちを、打ち砕いたのは急降下している道であった。『登山道ではなく、これは林業の仕事道だな』右は植林地帯、左は深い谷になっていた、覗き込むと誰かが歩いているのが見えた。登山者だ、股峠と登山口の間の登山道だ。良く見ると虎男だった。『おーい、虎男~』照が声をかけると立ち止まりキョロキョロし始めた。『こっちだよー、上にいるよ~』と叫ぶ照。するとやっと気付いてくれた。急斜面ではあるが、ここも植林地帯であったため、照は降りる自信があった。『今から行くから待ってて』と伝え、杉木に捕まりながら、獣のように降り立った。『ごめん、道を見失ってテキトーに降りてきちゃった』と謝ると、虎男は『いつになっても来ないから先に降りたのかと思って待ちきれずに降りてきた』と言う。タイミングが良かったから騒動にならず助かったがお互いに危ない選択だった。
照の車に戻って、志賀坂峠の駐車場へ虎男を送り無事終了となった。

【歩行距離13.5km、行動時間7h、県境8.5km】

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