『埼玉県境踏破記録 ~10 難路でアイツと遭遇~ 』

この冬は挑戦的に雪山へ出掛け、幸雄と日光雲竜渓谷で12本爪アイゼンの練習をしながら河原ハイキングをして、胸まで雪に埋もれたり、氷った滝を写真に収めて遊んだ。また群馬の山友とは谷川岳の天神尾根で朝一番に乗り込み、ノートレースの雪の斜面を掻き分けて歩行するラッセルに挑戦して、数分も持たずにヘバって5番手の踏み固め係りに徹していてもバテて、コテンパに殺られたりした。
県境は下久保ダムから沢を登り、稜線づたいに二子山へ歩くルートを熊が活動しないタイミングで済ませたいと思っていた。
だが、この沢の遡上は登山記録投稿サイト『ヤマコレ』にも記録はない、照が初となるルートだった。Googleマップで、車をデポできる場所をダム湖畔に見つけて、そこからダム湖畔を回り込んで沢を遡上、二子山へは1日では歩けないから、中間地点で下山してバスで車に戻って道の駅で車中泊して、2日目に中間地点から二子山を目指すことにしていた。
高速道路を使って本庄児玉ICまで行き、そこから下道で結構長い距離を走って下久保ダムを通過、湖畔のクネクネした道を走って吊り橋を渡り、何故ここにあるか目的不明の駐車場に車を停めた。
装備を整えて集落を抜けると道は砂利になり、車も通れないような荒れた道に変わった。ダム湖に注ぐ小さな沢は残雪があり、目的の沢も同じだったら無理だなと考えながら歩いて、目的の馬立沢に到着した。
予想より大きな沢で日当たりが良く雪は見当たらなかった、『さて行きますか』自分に問いかけるように呟き、照は歩きだした。沢の左岸には意外にもコンクリートで舗装された道があり、その上を歩いていくと、道が沢を離れて斜面を上がっていた。少し進んで、沢を離れてしまうことに気付き、戻ってから沢沿いに付けられた踏み後を辿る。沢の中を歩くことは無く、昔は道として機能していただろう痕跡を歩いた。遂に道は消えて、チョロチョロと流れる沢の中を歩くと、二俣に到着、いきなり本線と思われる方向に進もうと思ったが、念のため枝沢に確認に向かった。予想通り枯沢であったため、本線に戻ろうとした時、あの音が聞こえた。
ハーレーのエンジン音に似たアイツの威嚇である。奥多摩から高尾山へ縦走した2日目の朝のこと、籔の中から同じような腹に響く重低音が聞こえた、まるでハーレーのエンジン音だった。『こんな山奥までハーレーのエンジン音って聞こえるんだね~って違う!これ、熊だ!熊鈴を鳴らしているのに何故逃げてくれないの?』と肩に下げていた熊鈴を手に掛けて鳴らした。すると先程より少し大きめの唸り声が聞こえた。『あっ、挑発させてしまった』照はワーナーブラザーズのコヨーテの如く急ぎ足でその場を通過した。
今、聞こえている音はその時のと同じであった、『やっぱりいたか。そうだ』とカバンから今日のために100円ショップで買ったホイッスルを取り出して思い切り吹いた。すると『ガルルルルル』熊は逃げずに威嚇を続けた、『効かないの?じゃ』とまたザックからホイッスルと一緒に買ったパーティー用のクラッカーを取り出して、2つ同時に鳴らした。すると『ガルルルルル』熊は逃げずに威嚇を続けた。『えっ、やっぱり効かない。通過するのは無理だ。引き返すか、ここまで来て?』右の急斜面を見ると植林地帯だった。『迂回できそうだな』照は荷物を背負い、よじ登り始めた。かなりフカフカで歩きにくいが他に選択肢は見付からなかった。振り返って熊の様子を伺う勇気はなく、数十分登り続けて思いかけず林道に出た。沢の遡上は諦めてこの道で上を目指そう。少し疲れた足取りで県境稜線へ歩き、沢の源頭と思われる所を見下ろした。踏み痕らしきものは見当たらず、県境の杭も無かった。一旦県境を離れて塚山に偵察に行ってみたが、特に面白いものはなく、戻って進路を西に取った。稜線には踏み痕があるが、右下を見ると側を林道が走っていた。こういう場所が悲しくなる。わざわざ歩きにくいが道を歩く意味が何故あるのか考えてしまうのである。
枝打ちされていない杉林を抜けると小ピークであり、そこから方向を変えずに歩いていると思っていた。今回初使用のハンディGPSで現在地を確認すると、まさかの北方向に進んでいた。『あっ、道を間違えた』戻らずに慌てて方向転換して、藪を抜けてショートカットを狙った。少し明るい見覚えのある場所に出た。方向転換を反対側にしたようで、登ってきた所に出てしまい、照は自分自身に呆れた。
その後は小ピーク後にはGPSを確認するという心掛けて歩いた。ただ、先程の熊との遭遇が脳裏にあってかなり警戒心があるようで、動物のフンや足跡を見るだけでゾワゾワしていた。父不見山(テテミエズヤマと読む)はハイキングコースであるため、何人かは逢うと思っていたが、若者ペアとベテランの一名の三人だけであった。
群馬と埼玉を結ぶ峠道が何本もあったようで古い社が必ずあった。そして、本日の終点矢久峠に到着、大きな観音様まであった。緊張からか結構疲れていたが、あとは簡単な道を下るのみという安易な気持ちは見事に砕かれた。地図とは道がかなり違ったのである。
神流川沿いの集落まで直線的に通じる道がなく、新しい林道が真横に通過していた。強引に下っていくと、また林道があり、ハンディGPSを確認しても、その林道が何処に行くのか不明であった。右往左往して、何とか集落まで降りられそうな林道にたどり着き、ダラダラと歩いて、やっとのことでバス通りに降り立った。バス停を見付けて、恐る恐る時刻表を確認すると、一時間20分後であった。待つのが大嫌いな照は『もちろんこの場で待てないし、道の駅まで歩けば、多少は時間を潰せるな』と車道を歩き出し、疲れた身体で30分で道の駅『万葉の里』に着いた。ツーリングのバイクで駐車場はいっぱいだった、自転車の人もいるが登山者は照1人であった。疲れすぎて食欲がない、林道歩きが長かったから脚にも疲労が溜まっている。明日の登山は無理だなと、弱気になった理由には、熊も含まれていた。今日の区間より熊と遭遇する確率は高いと思っていた。
時間を潰すのが苦手なので、腕時計をチラチラ見ながらバスはまだかと待ち続けていた。売店の入り口には、熊の剥製が飾られていた、あまりじっくり見る勇気は無かった。
バスが到着し、鯉のぼりで賑わう神流町市街を抜け、駐車場のある橋に到着した。Suicaが使えないから料金がいくらなのか気にしながら、バスは乗り慣れていないので、バス停の案内に集中していて疲れた。
予定していた二子山と矢久峠の区間がまた今度になった。
【歩行距離22.5km、行動時間8h、県境14km】

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