『埼玉県境踏破記録 ~12 御嶽山と縁の深い場所~ 』

二子山の後は飯能アルプスを下り基調で30km歩いたり、八ヶ岳の赤岳を清里方面から日帰りで登ったり、初心者を連れてぶっつけ本番の弾丸富士登山をしたりと、攻めた登山を繰り返した。
そして、今回は長野との県境を歩くことにした。埼玉から登山口の毛木平に行くには、一旦長野県の佐久に出てから、南下して川上村に入る方法が一般的で、群馬から299号を使って長野県に入る方法もあるが通行止めが多い区間である。
9月後半の週末、毛木平の朝5時は少し寒く感じた。準備をして、出発しようとしたら、地元自治体のチャイムが鳴り響いた。『農家の朝は早いってか?こんなの都会でやったら苦情殺到だろうな』そんなことを考えながら歩き出した。信濃川に下流で変わる千曲川に沿って登山道があって、左には今回の中間地点である十文字峠への道がある。それを見送り、川沿いの変わらない風景の中をハイペースで歩いていた。頭にあるのは千曲川源流のところであるが、川の水量はなかなか減らず、川幅も狭くなる気配もなかった。
2時間半歩いて、やっと源流に到着して、そこから30分で甲武信ヶ岳の山頂である。山頂手前の日陰には霜柱ができていて、もう冬の知らせが届いていた。山頂は通過して、長野の県境に入るため北へ進行方向を変えて、まずは三宝山を目指す。ここまでは踏破済み、これから未踏区間に入る、準備運動は終わりって話だったが、ここまでハイペースで頑張りすぎたのか疲れが出た。
今日は天気が良くて、展望も良いので、富士山、奥秩父、雲海まで見ることができた、ここまで晴れるのは秋だからだろうか。照は疲れ気味の足で、気分良く歩いていた。岩々したピークが登山道脇に見えたので、よじ登ってみたがとても気持ち良い風が吹いていた。尻岩と言われる巨石があるというので、尻フェチでもない私でも少しワクワクしながら行くと、確かに色白の尻だった。更に歩くと十文字峠と小屋があり、ここで昼食とした。石楠花の季節ではないので小屋の人以外に気配はなかった。後半はあまり人が入らない区間のようで、急に道が踏まれていない感じになり、ペースが落ちた、一番の原因は疲れであることは否定できなかった。また登山道脇に石灰岩のような白さの岩壁がそそり立っていたが、照には登れる自信はなかった。とは言え、誰かは物好きは登ったのだろう、ピークには石碑のようなものが見えた。『あともう少し』何度このつぶやきを繰り返しただろう、やっとのことで三国峠に到着した。地図上には電波塔から真西に登山道らしきものが延びていたが、目を凝らしてもそれは確認できなかった。『長い林道を歩くしかないか』照は林道の行く先を眺めて、ショートカットができる場所がないかと探しながらタラタラ歩いた。
1時間半歩いて鹿避けフェンスのある分岐に出た。GPSを確認するとフェンスの向こうには、駐車場の最短ルートがあるような気がした。他に情報はないので間違いかもしれない。でも『林道歩きはもう懲り懲り』照はショートカットを試みることにした。踏み痕らしくない踏み痕を辿ると見事に駐車場に到着した。三国峠から2時間もかかったようだ、もうヘトヘトだった。
まだ3時半だったし、高速に乗っても関越道の渋滞が予測できたため、一般道で群馬を抜けて帰ることにした。
長野県の長閑な農村地帯を走っていると、携帯電話が鳴った、母からだった。『珍しいな、何だろう』照は電話に出た。『あんた何処にいるの?』『うん?長野県だよ、今下山して帰っているところ、何かあった?』『御嶽山が噴火したよ』『えっ?????』まだ被害状況や噴火の規模の情報はメディアに流れていなかったようで、それ以上の情報は貰えなかった。(5年以上経った今、改めて考えると、母親は自分が生きているか確認したかったのだろう。)
甲武信小屋に泊まったときに、夕日が御嶽山に落ちるのを見て、御嶽山の存在を知り、御嶽山にまだ彼女だった妻と一緒に登り、また甲武信ヶ岳を登っている時に御嶽山が噴火した。そういう意味でこの噴火は他人事に思えなかったし、テレビに映る惨劇と記憶の風景があまりに違いすぎて、衝撃的な出来事であった。行方不明者は何処にいるのかな、遺族のためにも見付けて欲しい。
【歩行距離26.5km、行動時間10.5h、県境9km】

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