『都県境踏破記録 ~2 東京都の山奥で熊とバトル~』

三頭山避難小屋偵察から3ヶ月弱経った5月後半、照は珍しく電車での登山に出掛けていた。始発電車に揺られて、立川、青梅、そしてやっと8時に奥多摩駅に降り立った。
青梅からトイレを催していたが、何とか耐えて駅のトイレに行こうとしたら、もちろん混雑していて、多摩川に掛かる橋を渡った先にある公衆トイレに駆け込んで、命拾いをしていた。
その目の前が今回の登山口であり、いきなり愛宕神社の境内へ繋がる急な石段が立ちはだかる。最初の難所にヒーヒー言いながら、登りきるとなだらかな道へと変わった。次の鋸山へは岩場が1ヶ所あって照は苦戦しないが初心者や年配者は苦労すると思われる。
鋸山の手前で御前山方面に分岐を曲がる。人の気配がなく静かな道を歩いて行くと、右手にテラス付きの避難小屋があり、そして山頂からは賑やかな声が聞こえてきた。奥多摩湖から登ってきたハイカーがワラワラ、逃げるように次の山に向かうと、また人の気配がない静かな山に戻った。またに数人組のトレランが通過する、照の荷物は食料と寝袋で11㎏はあったので、荷物の量では圧勝だった。
少し退屈な長い道のりを歩いて、奥多摩の周遊道路に出た。都民の森はもうすぐだ、気合いを入れ直して登って行く。都民の森の敷地内に入ったが、登山道というか遊歩道が入り組みすぎていて、クモの巣の道を歩いたり、クネクネしながらやっと事務所建屋にたどり着いた。まずは妻に電話報告をして、給茶器でお茶を貰っておにぎりを食べて、水筒に水を補給して再び避難小屋を目指して歩き出した。ハイキングルートだが、重い荷物を持ちながら既に7時間歩いていて、登り坂は結構しんどかった。16時半に避難小屋に到着して、少し休憩。他に誰も泊まらないようで貸し切りかなと、5時に夕飯を食べて、やることはないので寝袋に入っていたら、1名到着、そして1名、日没直前にも1名到着し、合計4人となった。1人は高尾山から12時間掛けて来たという。残り2人はのんびり歩いているようだった。
軽く情報交換や雑談をして、早めに寝ることになったが、いつものように寝付きの悪い照。しかもトイレの換気扇の音が気になって寝れそうにない。でも相当疲れていたようで9時半から0時半の3時間熟睡できた。あとは朝い眠りで、夜中2時に熊鈴の音が近づいて来るのが聞こえた。『ヤバい出たかな』と怯える照。しかも、小屋の前で止まって、扉を開けて覗き込む、LEDが眩しい。迷惑な『ナイトトレラン』だった。
翌朝、高尾山から来た人が4時に起きると言うので、照もそれに合わせた。が、彼は朝ごはんを食べずに出ていった。2人が寝ている中、ガサゴソと朝食を作り食べた。荷造りして、『ご迷惑お掛けしました、行ってきます』と言い残して4時40分にスタート。
2日目はロングとなるのでスローペースで入ることを意識して歩き出す。基本下り基調なので、心臓には負荷は掛からず楽なのである。右手には大菩薩嶺が見えたので写真に収める。次の峠で事件は起きた!こんな山奥なのにハーレーのエンジン音が聞こえたのである。照には初めての出来事で事態を理解するのに時間を要した。熊鈴を付けているのに、何故熊がそこに居るのか意味がわからなかった。刺激しないように通りすぎることに集中し、暫く振り返らずにゆっくり歩いた。後に聞いた話だが、母熊は子供を守るために絶対に逃げないようだ、通常臆病なので鈴で逃げてくれる。
ほとんど変わらない景色と登山道で少し飽きてきた照だったが、まだ2日目の行程の半分程度だった。三国山は、東京都と山梨県と神奈川県の境である。ここからは東京都と神奈川県の県境に変わった。
和田峠を越えて陣馬山に着くと、雰囲気が一変、ハイカーだらけであった。照のようなバカみたいに荷物を担いだ人なんぞ見当たらない。
そこから高尾山までまだ12kmもあった、気合いを入れ直して、踏み固められた硬い登山道を歩きながら、ここは無心になろうと努力していた。だがしかし、そう簡単には出来ずにピークを巻いて『楽をする』作戦に出た。明王峠ではタヌキの置物が出迎えてくれた。少しは気が紛れそうだったが、あまりに疲れて壊れかけていた。周りのトレランに対抗心を燃やし、走り始めたのである。食料を胃袋に入れたから少しは荷物が軽くなっているが、バカみたいに段差でジャンプして遊び出した。
県境は小仏城山の付近でメインルートを離れるが、今回は素直に高尾駅に向かうことにしていた。高尾山山頂をこの変態的なザックの大きさで歩きたくないので、迂回してから本線に復帰し、家族連れをごぼう抜きして登山口の駐車場にたどり着いた。トイレで着替えを済まして、高尾駅までまたに歩いていた帰宅した。
【歩行距離、行動時間19.5h、県境26km】

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