『番外編 ~南アルプスって良いところ 1~』

照は山登りを経験するに従い、もっと過酷なルートを欲していた。次は何処を登ろうと探していたところ、友人が甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根を登ろうと誘ってきた。日本三大急登の1つで標高差は2400mにもなる。
7月の空梅雨だった、幸男とミッキーの他にラガーマンと姐さんが参加して5人パーティーで登る計画になった。登山口駐車場で4人は前泊して、照は未明から車を走らせて早朝に到着した。
やや薄曇りの朝だったが、天気予報は下り坂であることは気になったが、登り始める。左に鳳凰三山が見え隠れしていたが、次第にガスに包まれて小雨まで降ってきた。皆はレインウエアを着こんでいたが、照はTシャツ姿で登っていた。七丈小屋までもう少しというところで、幸男が岩を踏んで強めに捻挫した。この天気だから登頂は諦めていた、小屋に着くと照は水場で水行を始めた、上半身裸になって、頭から水浴び、汗を流した。ラガーマンは幸男の足を水場で冷やしていた、幸男は痛さより冷たさで悶えていた。小屋に入ると、小屋番が幸男の手当てをしてくれた。『結構腫れているな、皮膚はかぶれるが、炎症を抑えるのが優先だ』とバンテリンをたっぷり塗ってラップで巻いて応急処置である。言葉少な目で愛想の悪いと有名な人だが、とても優しい山男だった。その姿に姐さんは惚れていた。
翌朝の天気は良かったが、岩も濡れているし、登頂経験者の姐さんが判断して8合目で朝日を拝んで帰ることにした。幸男は荷物を他人に預けること無く歩いた、彼のポリシーであるから仕方ない。
2週間後の朝5時半、再び照は登山口に来た。今回は天気が安定しているが、単独であった。2週間前のへばった姿とは違い、水を得た魚のごとくグングン標高を上げる。途中でほぼ同じペースで歩く男性と意気投合し、小屋まで来た。まだ10時半ではあるが、彼も本日はここまででのんびりすることにしていた。一番乗りであって、カップ麺を食べたり、ビールを飲んだり、山談義に盛り上がっていた。すると三番目に到着したお兄さん二人組が飲み会に参加してきて、四人で酒盛りとなって、お兄さんのお金で次々にボトルを開けて、小屋番からストップが掛かるまで続いた。
4人のうち照だけシュラフ持参だったので第2小屋であった。明日5時に出発しましょうと約束して就寝、今思うと隣人は相当酒臭かっただろうな。山では寝れない照は珍しく良く寝たというより、酔い潰れたというのが正解か。
翌朝、アルコールは抜けていて、4人で山頂を目指して歩いて、無事登頂を祝った。お兄さん二人とはここで別れて、男性と摩利支天に行って写真撮影。お礼を伝えて彼は鳳凰三山へ向けて下っていき、照は登り返して黒戸尾根を下って、デポした荷物をピックアップして、4時間半掛けて山を降りた。
次に南アルプスに行ったのは、5月後半の鳳凰三山であった。友人が日帰りで歩いたと聞いて、自分もやってみたいと思った。夜叉神峠に日の出時間に車を停めて、慌てて登り始める、理由は白根三山のモルゲンロートを拝みたかったからだ。背後から朝日を浴びて諦めかけていたが、オレンジに染まった北岳、間ノ岳、農鳥岳が堂々とした姿を見せてくれた。最初は樹林帯であったが、森林限界を越えると更に素晴らしい景色が待っていた。最初の薬師岳手前の小屋で営業開始前の準備をしている小屋番に、『熊鈴を付けていたら雷鳥に会えないよ。荷物をデポしてもいいよ』とお誘い頂き、殆んどの荷物をデポして、薬師岳、観音岳、一旦下って、必死に登り返して、地蔵岳で記念撮影。そして稜線に生えている樹木の荒々しい姿に感動。ピストンして荷物を回収して12時間歩いて、足が上がらなくなったのは最初で最後にしたかった。
帰りに温泉に行って湯を被った時に腕と顔に激痛が走る。鏡を見ると、酷い日焼けをしていて、晴天の森林限界は恐ろしいことを知った。
3回目の南アルプスは、広河原から北岳、間ノ岳、両俣小屋を経由して、仙丈ヶ岳を行く2泊3日だった。8月上旬、会社の夏休みがオフピークだったのだ。夜中に芦安のバスターミナル駐車場に行くつもりが、気付いたら夜叉神駐車場に着いてしまい、大慌てして戻って、車中泊。翌朝4時に動きだし、4時半に並んで5時にバスに揺られて6時に広河原から出発。登り始めからたくさんの草花がお出迎え、写真を撮りまくる。いつもの調子でガンガン登っていたら軽い高山病になったようで、二俣で大休止。
有名な肩の小屋を過ぎて、山頂を踏む景色はガスガス、今にも雨が降ってきそう。北岳山荘に着いて間もなく強めの雨が降ってきた。セーフであったが、その中歩いたと人から雷鳥に会えたと聞いたとき、羨ましい気持ちだった。小屋の夕食も朝食もヘルシーメニューで『たんぱく質をください』と照は吠えそうになった。小屋は空いていて、布団は1つおきに割り当てられ快適な寝床だった。
翌朝、間ノ岳に向かっている途中、特徴的なオジサン二人組を追い越して、テケテケ歩いて10時前に両俣小屋に到着した。天気は下り坂であり、評判の良い小屋であった。女主人に『この時間なら北沢峠に行けますよね?』と照は話しかけた。『行けるだろうよ』と返ってきた。この時間に泊まりたいと言ったら『アホなやつ来たよ』と思われるんじゃないかと思って『泊まりたいんですけど』と呟いたらジャニーばりに『泊まっていけばいいじゃん』と歓迎してくれた。目の前の沢で水行、とても気持ち良い、女主人とお話をしたいが、噂通りラジオの天気予報を聴きながら天気図を書いている。昔、台風で洪水に襲われ、命辛々小屋から脱出した経験から身に付けた習慣であった。お昼にカップ麺とビールを頂き、ゴロゴロしていた。テント泊の関西兄さんに仲良くしてもらい、明日一緒に歩こうとなった。『荷物が重いから先に行っている、追いかけて来てな』と。
夕方になって二人組が小屋に来た、今朝見かけたオジサン二人組であった。ビールを飲みながら、何処を歩いていたの?と聞くと、通行止めとは知らずに危険な沢を降りてきたと。で、『お前さん何歳だ?』と聞かれた。『31才です』と照がいうと、数秒間動きが止まった。『結婚はしていないよな』と聞かれ、『してます、今妊娠中です』というと、また時間が止まって、『こんなところ居ないで早く帰れよ』と。『妻が山に行ってこいというもんで』というと、無言でトイレに向かった。
もう1人オジサンが話し出した。『あの人、登山のレベルは凄いんだよ。一ノ倉沢も登っていたんだから』と。戻ってきたオジサンに『指何本ないんですか?』とぶっきらぼうに聞くと『足の指2本だよ』と返ってきた。そして、昔、17日間遭難していた人を偶然救出した時のことを話し出した。『人が全く入らない場所なのに声がして、振り向くと汚い格好でさ、浮浪者が何故にここに居るのかと思ったよ。で日記を見せてきて、17日前から遭難していたと話すんだ』照はその話を信じていたが、帰宅後にネット検索するとブログではあるが一致する話が出てきて、驚いたのであった。
小屋には客は4人で、女主人とアルバイトの若者1名であり、夕飯後に軽く雑談して、熊や釣り、洪水のことを話してくれて、小屋を目的に来る常連客も多く、10時前に宿泊を希望した照のことを歓迎してくれた意味も分かった気がした。つづく

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