『富士山は弾丸で登るべし1』

照の兄は小学1年生で父と2人で富士山登頂を果たしている。日の出から日没までの日帰りであって、妹と母の三人で5合目から6合目で約12時間を過ごしたらしいが、照は当時3歳であり、もちろん記憶にはない。社会人1年目の時に、父が友人と富士登山をすると言うので照も前泊した。その時の目的が富士登山ではなく、富士山の麓観光、更に詳しく挙げると、忍野八海、白糸の滝、溶岩樹型、鳴沢氷穴、富岳風穴、そして青木ケ原樹海を1人で散策した。自然の生命力に気付かされ、魅せられた1人旅だった。
午後3時に登山口で父と合流予定だったが、1人で外食できない性格だった照は昼飯も食べず2時に富士宮登山口に戻ってきた。もちろん父はおらず、少し待ったが待ちきれずに登り始める。Tシャツ、ジーパン、スニーカー、携帯電話、車の鍵だけ持って。今思うと無謀の一言である。
1時間もすれば会えると思って、山小屋前でも休憩せずにガシガシごぼう抜きで登る。6、7、元祖7、8、9、9.5、上から聞き慣れた声がすると、父だった。ノンストップ&軽装&早歩きで頂上直下まで来てしまった。父が高山病になって時間が掛かってしまったらしい。何故かこの時、父親が記念撮影してくれていて、妻にアルバムを見せていた時に、この写真が出て来て、9.5まで登っていたのか!と驚いたのであった。
帰りは日没との勝負になったが、照は足を使い果たして、膝が大笑いであり、ブレーキが効かなくなっていて、真っ暗になる寸前に下山完了したのであった。
照が富士登山を初めてしたのは、幸男と2人で金曜の夜に須走から行ったものだった。2時半から登り始め、軽い高山病で7合目で大休止して、9合目からは暴風雨だった。何とか登頂して、風避けの小屋から顔を出して火口を見ようとしたら、大粒の雨が打ち付けて、酷く痛かった。
係員が下山路は危険だからと登りルートを下っていくと、軽装外国人がいて、幸男が何やら下山するよう話し掛けていた。英語が堪能な照は、『クレイジーウインドウ、クレイジーレイン、ベリーコールド』と伝えて、渋々下りてくれてほっとしたのであった。13時に下山完了し、眠気に耐えて高速道路で帰還したのであった。
それから2年後のシルバーウィーク、特に用事もなくて直前に計画した御殿場ルートの往復。登山開始を3時か4時にしようかと思っていたけど、0時に到着して勢いで入山開始。周りは真っ暗で人の姿どころか、ヘッドライトの灯りさえ見当たらない。広大な富士山に1人でいるかのように、風の音以外しない静かな状態だった。月明かりに照らされた山頂が白く見えたが、九十九折の登山道は真っ暗で見えないため、下山道を直線的に登るしかなく、体力と精神力を奪われた。なかなか宝永山が遠い、しかも足が埋もれる砂礫は何故か固くしまっていた。弱い風なのに結構寒い、あまり着込んでいなくて、着たいが傾斜がキツく、荷物が転がって行きそうだったので、白金カイロを使おうと100円ライターに火を付けようと石を回すけど、風のせいか火が安定しない。体で風避けを作って何とか火を付けることができた、寒くて親指を失いそうな痛みだった。早く太陽が欲しい、宝永山を過ぎて観測小屋の跡地で休憩、やっと着込めた、まだ4時。
空が白み始めて、山頂が白く見えた理由が分かる、前日の雨が氷っていたのだ。そして太陽の光を有り難く浴びる。『暖かい』思わず声が溢れた。
朝7時に前方から男性1人が下りてきて、朝8時に後方から男性1名が凄い速さで追い越して行く。話を聞くと朝5時から歩き出したと言う。照が8時間、その人3時間、照は呆れていた。外国人パーティーが陽気に降りてきた、手すり代わりのローブには氷がビッシリ、風はなく天候も安定しているため、8合目の小屋裏に荷物をデポしてほぼ空身で登り始めた。
サクサク登って遂に登頂、先程追い越した男性はもう下っていった。この際、最高地点も踏みましょうと、馬の背を必死に登ってはい登頂成功。360°の展望でした。登りに9時間も掛かったので疲れが酷く、お鉢巡りの気力はなく、写真を撮ったら帰りたい気持ちになっていた。
来た道を踵を打ち込みながらサクサク下り出す、足元は砂の内側が氷っていて、表面が溶けていて、グリップ良く歩きやすかった。荷物をピックアップし、テケテケ調子良く歩いていくと、登りに追い越して行った男性に追い付いた。『速いですね』という言葉に対して、『転がっているだけですよ』と返して追い越した。宝永山にも勢いで寄って写真撮影、火山灰で赤いはずの富士山が白い。駐車場に向かって踵を打ち込みながら歩いていると、2時間で到着しそうな感じだった。結局、登り9時間、下り2時間10分で下山完了、変態的なタイムを叩き出したのであった。
温泉に入ってから車で帰宅して、夕方のニュースを観ていたら、『富士山が初冠雪しました』とヘリの映像が映った。何と意図せずに、初冠雪富士山を満喫してしまったのだ、照にとってとても貴重な経験になった。
数年後、会社の後輩Aが前から富士山に興味があると言っていたので、『行くか?』と聞くと『行ってみたいです』とな。じゃ、装備はこれとこれ。もう1人の後輩Bにも声をかけて3人パーティーとした。その2人は登山経験ほぼ皆無、若さ20代前半と軽さ52kgと精神力で登らせた。『素人を前哨戦もなく、ぶっつけ本番で、しかも弾丸で登らせてみせる!』という設定だった。
夜中の10時に富士宮5合目にバスで着いていたが、雨雲が若干残っているので1時間パンなどを食べて高度順応してから11時過ぎに登り始める。周りは気が早く雨の中を歩き出して、もう誰も居なくなっていた。
牛歩戦術に近いゆっくりペース、各小屋で休憩&水分補給で登っていく。8合目に来て、後輩Bが『ニコチンが欲しい』と言い出した。『酸素が貴重なこの環境で死ぬぞ』と忠告したが、吸い始めた。その後、彼は廃人になったが、気合で登らせた。日の出時刻は山頂手前で日の出時刻は迎えた。『今日は雲が多くてダメだね』照は言った。前もって照が伝えておいたのは、『ご来光目的に登るなよ』ということである。観れない確率が高いから、観れなかった時に、ご来光のガッカリが登頂のハッピーを打ち消してしまうのを恐れていた。『ご来光観れたらラッキー』それで十分だという考えは今も変わらない。
無事登頂させることができ、下り始めて照が後輩2人を置いて暴走する、身体が止まらないのだ。あと、次々に人が避けて譲ってくれるから、立ち止まれずにもいた。そして長田尾根の石碑でウサギの如く昼寝を始めた。30分経ってやっと後輩登場して一緒に下り出す。後輩Aが足首が疲れたというのでストックを持たせて、後輩Bにはエナジーゼリーを注入。宝永山に寄って、富士宮登山口まで軽くトラバース!と思ったら、地味にアップダウンがあり、『あと少し』と期待を持たせる発言を照は後悔した。2人とも無事に登頂&下山完了し、駐車場へのバスに乗ったのであった。
その後も後輩Aはまた富士山に登りたいと言っていて、膝の怪我が治ってから、会社の後輩や松元に声をかけて、合計8人で登ったのであった。
つづく

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