『富士山は弾丸で登るべし2』

参加人数が多く、集合やSA休憩も時間が掛かってしまい、更に首都高の渋滞にやられて、時間は押していた。しかし当日は東名高速を走行中にも小屋の光が確認できるほど雲1つ無い晴天で、登っている最中も夜景が綺麗に見下ろせた。五合目までの大型バスはなく、タクシーがピストン輸送をしていたが、遅かったのもあって1台だけだった。5合目で仲間を待つ間に、係員らしき人が話し掛けてきた。最初、環境協力金の回収をこんな夜中もやっているのかと思ったら、弾丸登山者にGPSログを依頼している富士宮市職員だった。説明を受けて協力することにして、GPSロガーを受け取った。
後続の仲間が来たが、あまり時間に余裕がなく30分の高度順応で登り始めた。膝の怪我は治っているが筋力や体力が戻っておらず、更に初心者を6人も連れていたため、照は8合目手前でフラフラし始めた。先頭を後輩Aに頼み、ゆっくり歩いていたところ、松元が『フラフラしてどうした?』と心配そうに声をかけてきた。『やっぱり?分かる?』と照。少し座って深呼吸してみたが変わらず、覚束ない仲間の待つ小屋に辿り着いた。松元が『酸素吸うか?』とボンベを照に差し出した。『そんなもん効かないよ』と断ろうとしたが、善意を受け入れて、深呼吸を5回繰り返した。これ以上迷惑掛けたくないとリスク回避で、情けないの承知で荷物の2Lペットボトルを松元の後輩(スポーツマン)に預けた。再び歩き出すと酸素のせいか、荷物のせいか、少し身体が軽くなっていた。次の山小屋で松元に念のため酸素をもう一度貰った。『効くねぇ』と照は笑った。
日の出時刻を過ぎているのに最後の登り、胸突八丁で渋滞している。山頂に行っても人混みが凄いので、ブル道分岐の広場で大休止することにして、写真撮ったり、日の出を眺めたり、影富士を見て、人が降りてくるのを待ってから歩き始めた。
山頂を踏んで、まったりチームとお鉢巡りチームに別れて行動し、照の念願だったお鉢巡りを果たす。松元と後輩スポーツマンに全力坂だっと煽ったら、本当に走り始めて、『やっぱり次元が違うわ』と呆れる照だった。足が完全ではない照は、みんなと同じ下山ペースだった。今回は宝永山から富士宮登山口ではなく、御殿場登山口にそのまま降りる。照の2つ目の念願は、長田さんの供養碑を見付けることだった。見落とさないよう入念に探しながら歩いていて、7合目小屋下にポツンとあるのを見付けた。何も案内とかなく、ただ石碑だけあるので見落とすのも仕方ないレベル。富士山測候所へ歩荷した長田さんへの尊敬を伝えて、再び歩き出した。
宝永山に寄ろうとしたけど、手前の鞍部で休憩となった。駐車場へのバスは何時だったか調べようとポーチから携帯を取り出して調べていた時に、突風が吹いて貴重品袋が飛ばされてお金とかばら撒いてしまった。慌てて仲間に拾って貰った。
そこから、バスの時間があるからと、照は1人下っていった。仲間は小さくなっていく照の後ろ姿を見て、『すげぇー体力だ』と呆れていた。
登山口に着くとGPSロガーの回収担当が待っていた。手渡すと御礼にウェットティッシュをくれたので、ホコリまみれの顔を拭いて、バスを待った。
バスは非常にゆっくり駐車場へ移動して、車に到着。御殿場登山口に戻って仲間を回収して温泉に寄る。目や鼻や耳が火山灰で真っ黒だった。
レンタカーの返却時刻があるので東名高速の渋滞に巻き込まれたくない照は、休憩とかほぼ皆無で何とか渋滞を回避し、仲間を最寄り駅に落とし、車を無事に返却。帰宅して荷物の整理をしていたところ、タクシーで使ったクレカが見当たらないことに気付く。仲間からお疲れ会をやっているから来いよというお誘いは右から左に流された。
どうやら宝永山で突風で飛びされた時に、黒色のクレカを見落としたようだ。とりあえずクレカ会社に連絡して止めて貰う、悪用はされていなかったようだ。後日警察から落とし物の連絡が来た。どうやら親切な人が拾ってくれたようで、大きな騒ぎにならなくて良かった。
こんな風に富士山は毎回弾丸なのであります。特に日中に登る方がリスクが高いと照は考えている。理由は目の前に見えてしまう頂上がいくら登っても近づかない絶望感、背後から照らされる日焼けと暑さによる脱水、夕方の天気の急変、日没タイムアウトの精神的プレッシャーと疲労感、人の多さもあると思う。確かに夜も夜で、落石や転倒のリスクはあるけど、食料や水、ビバーク装備さえ持てれば全く問題ないと考えている。
今年の夏に6歳の長男と照は富士登山をしたいと考えている。今はただ、できることを願うばかりだ。

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