『谷川岳でのあれこれ』

登山しない人でも関東に住む人なら名前を一度は聞いたことのあるであろう谷川岳。標高は2000m弱なのに、日本の中央分水嶺に属し、日本海と太平洋の影響で天候は安定せず、特に冬は豪雪地帯となる。
照が初めての谷川岳に登ったのは秋であった。西黒尾根で登っていて、上部にある氷河の跡でツルツルの岩場を通過する時はとても緊張して、生きている心地がなかった。下山は天神尾根を使ったが、素人が多くて閉口した。
2回目は幸男と中ゴー尾根を登った、忘れられない事件を起こした。その日、マイナーな登山口である谷川温泉から入山した、行きも帰りも誰1人見なかった。歩き始めて1時間半、二俣に着いて2回目の休憩をした時に、貴重品袋がないのに気付いた。『落としたのかも』照が言うと、幸男は『最初から持っていなくて車に忘れたやじゃないのか?』と返した。照が『俺取りに戻る。幸男はそのまま・・・ダメだよね』幸男は頷きながら『大丈夫だよ』と言って歩を進めた。『勘違いだったのか?』と思いながら、後を歩いた。
中ゴー尾根は二俣から一気に高度を上げる、西黒尾根より急登であるも思われる。格闘すること3時間半、稜線に立つことができた。マツダランプの赤いマーカーがある。マツダランプは東芝に買収された電球メーカーでその登山部が残したマーカーである。未だに谷川岳に多く残って、西上州の荒船山には大きな看板がある。
谷川岳山頂は目の前に見えるのだが、もうヘトヘトだった。山頂でランチ、天気は良い。下りは天神尾根で避難小屋まで行き、厳新道で二俣に降りる計画だ。山頂直下には雪田があり、幸男はシリセード、照はグリセードをしたが、ブレーキを上手く掛けられず、危うく中ゴー尾根方面のヒツゴー沢に落ちる一歩手前で止まった。
避難小屋から厳新道に折れると、マーカー皆無、人が入った気配もなく、静まり返っていた。二俣に着いてから行きで苦労した崩落地を通過しようとしたが、照を心配して幸男が先行&偵察してくれた。
そして、少し歩いた時に、『あった!』と幸男が叫んで振り向いている。『今度は何を見付けましたか?』照は花か生き物か何か珍しいものを見付けたのだと思っていた。幸男が何かを手に持っている、『何だろう、茶色い、袋???』それは照の貴重品袋で、そこは1回目の休憩ポイントだった。なお、袋の中身は、現金、携帯電話、車・家の鍵、クレカ、保険証、免許証、全部だった。感謝でしかなく、帰りの温泉、高速代、ガソリン代は請求できなかった。
3回目は反時計回りの馬蹄で夜中2時半に単独で入山して、清水峠で疲れ果て白崩避難小屋で1泊、翌朝、雲海の素晴らしい景色が待っていて、ブロッケン現象初体験、谷川岳に着いて、天神尾根は人まみれだったので、天気は怪しいけれど西黒尾根を急いで下る。岩場にビビって動けなくなっている子供がいたので、親に『天気も怪しいし下った方がいい』と伝えたが、『ここまで来て?』という顔だった。照の下山直後に夕立が来た、ギリギリ濡れずに済んだが、あの親子を心配していた。
3回目は幸男とアニキと3人で中芝新道を歩いた、芝倉沢出合から少し行くと大曲で大崩落があってルートが消えていた。先行者は斜面を横切っていたので、照もそれに続いたのだが結構リスキーだった。照の姿を見て、冷静に判断したアニキと幸男は高巻きして通過していた。
沢を少し遡上すると、赤ペンキの矢印が岩壁を指している、これからが本番だ。岩場の連続で、水平移動距離は全くないのに、高度の稼ぎ方が異常で、崩落の大曲が足元に見えるほどだった。湯檜曽川を挟んで反対にある白毛門に光るものが見える、『あれは登山者だ』遭難した時に光が役立つというのは有名な話ではあるが、ここまでとは思わなかった。
最後の笹原を抜けると一ノ倉岳であった、やっと終わったと力を抜きそうになった。照は西黒尾根を下ろうと思っていたが、アニキと幸男は天神尾根とゴンドラで下る決断をしていた。相変わらず人まみれの谷川岳山頂を横目に、一気に下っていったのであった。
4回目は残雪期の天神尾根であった。群馬の2人とゴンドラに一番乗りをしてラッセル大会に参加したのだったが、散々な結果だった。12本爪アイゼンでは埋もれるばかりで足枷になってしまった。スノーシューが優位で、殆んど埋もれずに歩いていた。
ラッセルの3番手でもかなり疲労を感じて、上部に着く頃には照は6番手に定着して、楽して登っていた。
山頂に着くと西側には素晴らしい景色が待っていた。そして、振り向くとバックカントリーが急峻な谷底にドロップしていく。3時間も格闘して登ってきたのに、1分も掛からずに、谷底に到達していた。
5回目の谷川岳は土樽からの茂倉岳を予定している。避難小屋でゆっくりするつもりだ。楽しみ方がこんなにある山は珍しいと思う。

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