『夏を閉じ込めた琥珀』

「俺、結婚するから」

 ひぐらし達がどんなに大合唱を奏でても、私の頭ではその言葉が響いていた。
どこまでも高い夏の青空の下で、私の顔は曇っている。
懐かしいこの場所で、草の匂いがする空気を吸い込むと、余計に切なくなっていく。

 これが私の、17歳の夏休み。

 ―*―*―*―*―

 親戚が勢ぞろいした朝食の席で、私の初恋は終わった。

 「あんたもさ、良い人いないの?」

 叔母さんの何気ない問いかけに、お兄さんはご飯を口にほおばったまま答えた。

 「俺、結婚するから」

 この部屋はクーラーなんてなくても、縁側から吹いてくる緑色のそよ風や、
それを運んでくれる扇風機があればとても涼しい。
でも、そんな部屋が一気に暑くなるくらい、みんなは盛り上がった。
お兄さんの突然の報告に、みんな一様に喜びやお祝いの言葉を交わしていた。

 私だけ、ご飯の味がしなくなった。

 お兄さんは、私にとって「夏の人」だった。
夏休みのお盆にだけ、輝く太陽の下で逢える人。

 いつから好きになったのかなんて覚えてない。

 じりじりとした日差しが照りつける日、何度も一緒に歩いた川沿いの小道。
川に入ると、足元だけ信じられないくらい冷たかった。
皆からは川には入るなと言われていたのに、私がねだるとお兄さんは一緒に入ってくれた。
帰って怒られるのも一緒だった。

 お祭りの日、手を繋いで歩いた縁日の夜。
ドキドキする帰り道、月明かりの下で笑いかけてくれるお兄さんは、誰よりも素敵で。

 「親戚同士って結婚できるの?」

 友達に真剣な顔で尋ねる私。

 吸い込むと胸が熱くなる夏の空気、すぐに目を逸らしてしまうほどに輝く太陽、
草木の匂い、蝉の鳴き声・・・・・
それらを思い出すだけで、胸が苦しくなった。

 初恋。

 分かってるよ。
お兄さんには、お兄さんの生活があるし、私なんて、ただの妹だって事も分かってる。

 私にとってこの場所は、お兄さんそのものだった。
お兄さんの思い出に存在する風景、それだけでしかなかった。

それなのに、そよぐ風は、とても優しい。

 私が恋していたのは、お兄さんなの?……それとも?

 私の中の……「夏の人」?

 ―*―*―*―*―

 この季節が来るたびに、私は何度でも甘酸っぱい記憶を思い出すだろう。
私が本当に恋していたものが分かるのは、私がもっと大人になってからなのかもしれない。

 お兄さんから届いた 結婚を知らせる手紙。

 私は封を開ける事なく、琥珀色をした机の引き出しに、そっとしまった。

 まだこんな時間なのに夕焼けが出ていた。季節は夏から秋へと変わる

 私も、あの人も、季節と共に毎日を歩いていくだけ。

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