『いつわりの仮面』

 私はいつも、偽りの仮面をかぶっている。
 友達と話すときも。
 親と話すときも。
 妹と話すときも、先生と話すときも、近所の人と話すときも。
 好きな人と話すときも。
 そして、いつの間にかその仮面を外すことができなくなっていた。
 
 仮面をかぶるようになったのは、確か小学校1年生のころ。理由はありきたり。クラスでいじめが起こったから。
 その時期は、父と母の関係も最も悪くなった。離婚の危機にまで発展しそうで、子供心ながらに大変感情をすり減らしたのを覚えている。
 その時から、私は「私」を殺し始めた。徹底的に、周りに、親に、嫌われないような、「仮面」を作成した。
 失わないための、偽りの仮面。
 何かが壊れるのが、特に目の前で人間関係が壊れるのが怖かった。
 昨日までふつうにしゃべっていた子が、豹変したかのようにクラスの子をいじめ始めたのを見て、恐怖してしまった。

「じゃあ、それを生かせるような職業でも目指せばいいんじゃね?」
 進路の悩みを打ち明けた私に、彼はそう言った。彼は、私の偽りの感情を一発で見抜いた、唯一の人物だった。暴かれて以来、途中まで帰り道が同じということもあって、一緒に帰ることが多かった。彼は何事にもポジティブで、短所すら長所にしてしまうような人間だった。

 かつて、彼が私の仮面を見破った時。彼はそのように、自分のことを教えてくれた。短所がないとは、なんともうらやましい話だった。私はその日、帰ってきた物理の成績が赤点だったのもある。少し腹の虫の居所が悪かった私はつい、悩みなんてなくて、楽そうね、と少し八つ当たり気味に言ってしまった。はっとしておそるおそる彼のほうを向くと、彼は無表情だった。
 能面のように、1ミリの感情も、感情の揺らぎすらも感じられないように、ただ見た者の心をざわつかせるような表情を携え、彼は目の前の山を見ながら言った。
「どうだろうな。どっちかというと、俺は欠点だらけなんだ。欠点だらけの欠陥品だから、それすら長所と思っていかないと、頑張れなかっただけな気がする」
 生きていく処世術だったと彼は言った。その話を聞いて、なんとなく似ているな、と思った。私は彼に自分を重ねるようになった。この日から私たちは一緒に帰ることが多くなった。

「生かせるような仕事って言われても……」
「役者とかは?女優でもいいけど、目指してみる分にはいいんじゃない?ミカかわいいしスタイルもいいし、たぶんいいとこまでいけるよ」
「いいとこどまりなのかーい!」
 パシッと自転車を押しながら歩く彼の背中をたたくと、彼は反動で少しだけ前に出た。
「そりゃ、そうでしょ。みんななろうとしてる人は全力全霊だろうからな。今のミカじゃ周回遅れもいいところだろうぜ」
「まあ、そりゃそうでしょうよ。本気で目指す人は養成所とか通ってるでしょ」
「間違いないだろうね。ただどうしても外面っていうのは生まれ持ったものだし、そこには大きな差はさほどないんじゃないか?まあ、ミカはたしかにかわいいけど、ミカよりかわいい人、きれいな人なんてこの世界に何十万人もいるだろうけどね」
「あんたは励ましたいのか、バカにしたいのかどっちだ」
「ちょ、女子が拳握りしめてわなわなすんなよ……。まあ、なんていうか、ミカは普通だってことだよ」
 彼は押していた自転車にまたがる。その動作を見て、別れる交差点のところまで来たのだと気付いた。彼は律儀にヘルメットをかぶり、外れないようにぶら下がっていたバンドでしっかりと固定した。
「本当の自分なんて、たぶん誰もわからないんだと思う。少なくとも俺もわからん」
「いや、あんたに言われてもねぇ……」
「なんだとこら、こちとら励ましているっていうのに。……大小はあるけどさ、みんな偽りの仮面かぶってんだよ。それが理性っている仮面なのか、打算っていう仮面なのか、処世術っていう仮面なのか、それは知らないけれどさ。本当の自分なんて、だれにもわからないんだって。そんなの悩むだけ意味なくね?って話。そんなん悩むより、なりたい自分を目指すでいいじゃん?」
「なりたい自分……」
「そ。俺はそうするのがいいと思ってるよ。誰も、本当の自分なんて持ってないんだから、なりたい自分になるんじゃないかなぁ。そのために、いっぱい仮面作って生きていくんだと、俺は思ってるよ」
 彼はそれだけ言うと、自転車で去っていった。彼の背中が小さくなっていくの見続け、たしかにそうかも、などと彼の言っていたことを考えていた。

 相手に合わせた仮面がある。場所に合わせた仮面がある。恋人に合わせた仮面がある。
 仮面を間違えると、衝突する。みんな、仮面をかぶって生きている。
 
 10年前のことを思い返しながら、やって来たタクシーを止め、後部座席に乗り込む。自宅付近の住所を述べ、発進する。
 彼は、果たしてなりたい自分になれたのだろうか。仕事帰りのタクシーの中で、そんな懐かしい、初恋の相手のことを思い出していた。次のドラマで初恋した女性の役を演じることになったからに違いない。数日そのころの記憶を掘り起こして仮面を作っていたから。
「偽りも、貫き通せば、真実になる」窓によりかかりながら、外を眺めてぼそりとつぶやく。
 私はまだ、なりたい自分にはなれていない、偽物のままだ。でも、それすらもよいことだと考えなおして、前へ進み続ける。彼がそうやっていったように。
 連絡先はもうわからないけど、彼と話をしたいな。初恋の相手のことを考えながら、ミカは眠りに落ちた。
 

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