『11月16日』

 日付が変わる間近のワンルームで、秒針の滲む静寂が刻一刻と飽和して行く。
 窓辺に活けられた赤の山茶花とフユサンゴが、物言わぬ月影に濡れて佇んでいる。その手前…ぼんやりと浮かぶ真白のローテーブルの上、湯気に曇るティーポットの底で、ジャスミンの茶葉がふわりと花開いた。

「…ふふ。日付が変わる前に開いてくれたね」

 かんむり座の描かれたマグに口をつけて、ソファの隣に座る彼女は静かに微笑んだ。
 小さな手の中から立ち昇る湯気は、不規則な模様を描いて整った鼻梁を撫ぜて、やがて部屋に差し込んだ月光に溶けて行く。
 耳に掛けられた黒髪がさらり、と滑り落ちた刹那…伏せられていた視線がふとこちらを捉えて、慈しむように優しい瞳が僕を映した。

「?…どうかした?」
「…ねえ。目、閉じて」
「…?」

 彼女は不思議そうに首を傾けたけど、やがてマグを置いて静かに瞼を閉じた。おもむろに”それ”を取り出した僕は、指通りの良い髪を再び耳にかけると、耳朶に空いた小さな穴にフック状のポストをゆっくりと押し込む。

「ん、出来た」
「え…ピアス?」

 そっと身を離すと、銀のポストに繋がれた雫形の石は、群青の中に不規則な金色を映して月光に煌めいていた。
 ピアスに使われている宝石…ラピスラズリは、11月16日の誕生石。…いつだったか、彼女が産まれたのは20年前のその日、日付が変わったばかりの寒い夜だったと聞いた。だからこそ、明日で節目を迎える彼女には、夜空を模したこのピアスを贈りたかった。
 目を開けた彼女は、細い指先で耳朶に触れると、困惑したように形の良い眉を下げる。

「…何も要らないって言ったのに」
「僕からの気持ちだよ」

 なんて笑いながら手を伸ばせば、星空を閉じ込めたような2つの石は、蒼く綻んだ月華に零れ落ちるように揺れる。
 二つの針が重なるまで、あと少し。

「…ねえ。少し早いけど…誕生日、おめでとう」
「有難う。今年も一緒に迎えられて良かった」

 緩やかに髪を梳かれたまま、月映えのかんばせは泣きそうに花笑む。
 2人だけの窓辺に立ち込めたジャスミンの香りは、蒼の世界に切り残された僕達を包み込んでいるようにも思えて。
 生まれて来てくれて有難う。出会ってくれて有難う。そんな言葉を閉じ込めるように、小さな顎を掬い上げてそっと唇を重ねる。

 静かな月影の見守る部屋で、壁に掛けられた時計の針がカタリと重なった。

この短編小説にはまだコメントがありません。
ぜひ一番最初のコメントを残しましょう。