『華蜘蛛』

「その髪飾り、彼岸花か?白いものがあるとは聞いた事が無いが」
「あい。先日馴染みとなった呉服屋の若旦那が、『白い彼岸花は珍しいんだ』『きっと月下香に似合うから』とわっちに贈って下さいんした。…ふふ、綺麗にござんしょう?江戸にて有名なべっこう細工職人の作品とお聞き致しんした」

 繊細な花を象る真白の髪飾りが、街の雑踏も遠くにぼんやりと浮かび上がる。
 ふ、と口元を綻ばせて、花魁は黒髪に咲いた花を愛おしげに撫でてみせた。行燈の淡い光の中、細い指先の触れた髪飾りがしゃら、と音を立てる。

「…ねえ、主。彼岸花とは、まるで吉原のような花にありんす」
「…?」
「彼岸花は、よく見ると小さな百合の集まりのようでありんす。ご存じざんすか?赤百合の花言葉は『虚栄心』、そして白百合の花言葉は『純潔』…。吉原という街は、そんな女達の集まりにありんす。そして、そんな彼岸花を象徴する言葉は『想うはあなた一人』…まこと、皮肉にござんしょう」

 女は妖しく微笑んで、結わえた髪を解いてみせる。
 吉原の月下香花魁と言えば、どんな男でも虜にしてしまうと評判の附廻だ。昼の間は楚々とした容貌だが、一たび夜になれば色狂いに豹変すると江戸でも話題になっている。
「お前も、そうだというのか」
 …まだ新造のうちに見掛けて以降、水揚げ後から足繁く通ってというのに。腹に抱えた俺の感情もつゆ知らず、幾多の男を骨抜きにして、こいつは…余裕綽々と笑って見せる。

「まあ…よもや、主ァ嫉妬しておられんすか?」
「…」
「冗談にありんす。それに、主もご存じざんしょう?わっちは吉原を気に入っておりんす。外界では毎日飢えかけていたわっちが、今ではこんなに煌びやかに着飾れて、沢山の旦那様と同時にまぐわう事が出来んすもの…。普段は理性的な殿方が、欲のままに女を求める姿はほんに堪りんせん。これほど素晴らしい生活、大門の外では想像すら出来んせんよ?」
「…先日身請けされた詩片花魁とは大違いだな」
「ああ…花屋の息子に買われた昼三にありんすか。あれも可哀想な女にございんすよ?『背中に醜いアザがある』という理由で赤子のうちに売られ、毒女だの傷物だのと言われながら見世で育った女にありんす。水揚げ後は器量の良さで昼三になりんしたが…折角の身請け先も、見世贔屓の貧乏な花屋。まこと、哀れな境遇にありんす」
「金が全てではない。花屋の息子が詩片を身請けたのも愛故だろう」
「まあ…ふふふ。主ァ随分と可愛い考えのようで。ここは吉原、金次第で何でも叶う場所にありんすよ?見ず知らずの殿方に高値で買われ、たんまりと可愛がって貰えるのが遊女というもの。いくら恋だの愛だの説きんしても、この街では塵芥も同然にありんす」

 ゆるりと吐き出された紫煙の奥で、婀娜やかな紅がてらと光る。不意に視線の交わった刹那、瞳の奥で蕩けた色が陽炎のように俺を映し出した。
 …まさに『月下香』。目の前の女は、その名の通り夜間に香りの強くなる花のようで。
 おもむろに首元を寛げた花魁は、着物の襟元から白い肌を露にすると、ニィと歪めた形の良い唇をそっと俺の耳元へ寄せた。

「さァさァ、ご漫談もこのくらいに。ここは大人の街にありんす」
「…」
「わっちと一夜を契って下さんし?わっちの奥底に燻ぶる熱…主が蕩けさせて下さんし?」

 吐息もたっぷりに囁かれた、欲を孕んだ女の声。その奥底に溶ける甘い熱が、俺の脳髄をぐらぐらと揺さぶって行く。
 まるで、蜘蛛の巣。男を捕らえて篭絡し、自らの虜とする魔性の女。月下香花魁に目をつけられた哀れな客は、気が付いた時にはこの女に堕とされている。
 そんな俺を知ってか知らずか、顔を離した女はニタリと嗤った。

「ねえ、主。彼岸花と蜘蛛は、ほんに姿形が似ていると思いんせんか?」
 

 …ああ。本当に、この女には敵わない。

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