『大人っぽい、子どもっぽい』

これまでは、年を重ねれば、人は大人というくくりに入ることができた。
年を重ねた者の方が知識があったし、稼いでいた。
家族を、養っていた。
一家の稼ぎ頭は頼りにされてきたし、「大人」は「大人」という自覚が持てた。
成熟しきれないまま身体だけ大きくなった人も、社会の中では、大人と見なされた。
それが、許されてきた。

でも、時代は変わってしまった。
年を重ねただけでは、人は大人とは見なされなくなった。
身体だけ大きくなった「子ども」が巷に溢れるようになり、大きな社会問題となった。

その原因の一つが、昔と仕事の内容が大きく変わってしまったことだ。
身につけた知識と体力で稼いできた時代から、目に見えない情報やサービスで稼ぐ時代となり、そこには、年齢という垣根がなくなっていったのだ。
常識や固定概念はむしろ邪魔な存在で、柔軟な発想やセンスが問われる世の中となり、それは、子どもたちの方が有利なように思われた。
生まれた頃からスマホ片手に育てられた子どもたちにとって、電子機器を操るのは造作のないこと。

大人よりも、稼ぐ子どもが出てきた。
子どもに養ってもらう大人が出てきた。
途方に暮れる、大人が出てきた。
稼げない上に、精神的に未熟な大人は、「大人」というくくりからこぼれていくように思われた。

ただ、どんなに稼いでも、生まれて数年の人生経験しかない子どもにとって、精神的に成熟した大人のサポートは大変重要だった。

求められるのは、「真の大人」だった。
未熟な大人は、稼ぐ子どもたちにとって、負担となる存在でしかなかった。

あるとき、口論の末、ある人が相手に対して言った。
「おまえ、そういうところが子どもっぽいんだよ」
それに対し、相手はこう答えた。
「子どもっぽいと言うのは、子どもに対して失礼だ。その発言そのものが、子どもを見下している」。

あるとき、ある人が相手に対して言った。
「その言い方、大人っぽいね」
それは、皮肉を込めた言い方だった。

その後、「子どもっぽい」は子どもに対する差別用語とされ、使用を禁止されるようになった。
「大人っぽい」は、偉そうな態度を取った相手に対する皮肉を込めた言い方として使われるようになった。

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