『キセキ Vol.7ー平凡な日々ー』

「ねえ、キセキって信じる?」
彼女は藪から棒に声をかけてきた。

12月31日の夜
こたつに入って紅白を見ていた。
僕たちは今年の夏に結婚した。
入社したばかりの会社。彼女は違う部署の先輩だった。
1年ほど付き合って、結婚した。
平凡な結婚だった。

彼女と過ごす初めての大晦日は、
特に旅行に行くこともできない。
今年はそういう年だった。

特にすることもなく、紅白歌合戦を二人で見ていた。

「キセキ?」
僕は首を傾げた。
信じるかどうかといえば、僕はあまりそういうのは信じない。
年末年始に神社にお参りするくらいの信心はあるが、
それでなにかキセキが起こるとは思っていなかった。

ーふふん

彼女は意味不明な笑みを浮かべる。
「そうだ!年越しそば作らなきゃ」

彼女はこういう季節モノが好きだった。
5月5日に菖蒲湯に入るのは知っていたけど、
冬至にゆず湯に入るのは、彼女と暮らすようになって初めて知った。

明日はきっと、お雑煮が出てくるだろう。

紅白をぼんやりと横耳で聞きながら、彼女が立つキッチンをぼんやり見ていた。
そばはすぐに茹だってきた。
暖かく湯気が立つ温蕎麦に
三つ葉とかまぼこ、鶏肉が入っていた。

こんなところも手を抜かない。
僕だったら、きっとざるそばだ。

一緒に食べたそばは暖かくて美味しかった。

「ねえ、来年も、こうしよう」
食べ終わると彼女は言った。僕の目をぐいと見つめてくる。
嬉しいときの彼女の癖だった。

「来年も、そのまた次の年も。12月31日は家で、一緒に紅白見よう。
 お蕎麦を食べて、除夜の鐘を聞こう」

「そんなんでいいの?今年はちょっとだめだったけど、普通、でかけたりしない?」

実際、僕らは去年、カウントダウンイベントに参加していた。

彼女はぶんぶんと頭を振る。
「いいの。これでいいの・・・」

そして、肩を寄せてきた。ふわりと優しい匂いがした。

紅白が終わりに近づく。そろそろ最後の曲だ。
遠くで除夜の鐘が鳴り出す。こんな年でも、除夜の鐘は鳴らすのだ。

「私さ、いっつも、どこかに行かなきゃ、何かしなきゃって思っていたんだ。
 ここじゃだめ、もっと先に、もっと早くって。
 新しい店とかオープンすると「行きたい」って言うよりは、
 「行かなきゃ!」って
 損すると思っていたんだよね。なんか、どんどん時間が経つのが怖くって。
 おいてかれるのが怖くって」

僕の肩によりかかりながら、彼女はポツポツ話す。
テレビでは、豪華な衣装のアーティストが最後の曲を熱唱していた。
ー愛は素晴らしい
そんな曲だった。

「だからさ、12月31日なんて毎年あちこち飛び歩いてたの。
 もちろん、1月1日も。
 友達や彼氏との予定たくさん入れてさ。旅行行ったり、イベント参加したり。」

ーなーんか疲れちゃってさ

ふとつぶやく。

「でも、今は安心なんだ。
 ここ!
 この家、あなたの隣。
 ここがあたしの居場所だって。思えるの。
 すっごい嬉しいんだ。
 キセキなんだ」

「キセキ・・・?」
僕はやっぱり首を傾げた。

「わっかんないかなー。
 まあいいや!
 とにかく。あたしと結婚したからには
 来年も、次の年も、その次の年も、10年後も、20年後も、
 あなたはここにいなきゃいけないの!
 わかった?」

僕は笑って頷いた。
 紅白が幕を閉じる。
  今年は紅組が優勝したようだった。

除夜の鐘が、今年の終わりを告げる。
 僕にはよくわからないキセキを噛み締めている彼女は
  いつの間にか眠ってしまっていた。

年が変わる。
 二人の新しい年が始まった。

この短編小説にはまだコメントがありません。
ぜひ一番最初のコメントを残しましょう。