『押入れの中の物語3』

 次の日、ユキちゃんは学校を休んだ。
 元から休みがちな子だったから、あさこちゃんは気にせずいつも通り、クラスの女子達と噂話を楽しんでいた。けれど、ケイコの方はというと、昨日あの団地から去ろうとしたときに感じた胸をチクリと刺すような痛みを忘れられなかった。
 ユキちゃんのユキエという名前にぴったりな、雪のように白い肌に怒りの赤が燃えている様子を、ケイコは想像する。ユキちゃんのお家の真ん前で、ずけずけと無遠慮に放った言葉の数々を、まだしっかりと覚えていた。
 あのモスグリーンのドアが棟の入り口の引き戸のように薄くないことを祈った昨晩の晩ごはんは食べる気になれなかったし、寝付きもかなり悪かった。
 聞こえてしまっていたのかな。あのときのあたしの声はよく響いていたし、あれはきっと棟に住んでいる人にくっついているよぼよぼのダニにまではっきり聞こえていただろう。音楽の先生に褒められるよく通る高い声を、ここまで憎んだのは初めてだった。

 「はぁ……」

 あさこちゃんなんかについていかなければ、あさこちゃんの話を聞いてあげなければ、あさこちゃんに一緒に帰ろうと言われたとき頷かなければ、こんなに落ち込むこともなかったかもしれない。募る後悔はまだまだある。

 「と、いうわけで、ユキエさんのプリントを届けてもらうのは、ケイコちゃんね」

 名前を呼ばれて、反射的に教室の教卓の前に立つ担任の水野先生を見た。
 そういえば、と今さら遅いが今は帰りの会の途中だった。

 「あの、先生、聞いてなかったんですけど……」

 いつも真面目に聞いているのに珍しいわね、とクスクス笑いながら水野先生はビニール袋に入ったプリントの薄い束を掲げた。

 「メイさんは今日、習い事があってユキエさんのお家へは行けないんですって。あまり遅くなるといけないから、終わってから行くのは駄目なのよ。メイさん以外にユキエさんのお家に一番近いのはあなたなの。それにあなた、ユキエさんのお家の場所を知ってるらしいじゃない」

 水野先生が、そう言ってあさこちゃんを見る。あさこちゃんの隣の席にはメイちゃんがどんっと座っていて、二人でにまにまと変な笑いを浮かべていた。かっとケイコの体が熱くなる。二人がどういう頭の中身をしているか知らないけれど、あの二人はあたしがユキちゃんのお家に行くのを面白がっているんだわ。

 「……わ、わかりました」

 しぶしぶ請け負ったけれど、ケイコはメイちゃんの習い事であるバレエは毎週火曜日にはないことを思い出す。
 黒板の端に書かれた"火曜日"の白い文字を睨みながら、ケイコは心の中で意地の悪い二人を口汚く罵っていた。
 水野先生がご機嫌に頷いて、さようならと言った。

 

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