『ちよちゃんと僕』

たんたんと、言葉の断片が降ってくる。
まるで冬の初めにちらつく雪のように。
ちぎり捨てられた紙屑のように。
最後に聴こえたのは、悲しみにくれすすり泣くあの子の声。
僕は手を伸ばすことも出来ず、ただ隣に立ってその姿をじっと見つめていた。
それは、とても、美しい光景。
僕と君だけが居る世界の始まりだった。

「お母さんと、お父さんはどこ?」
ちよちゃんは、昨日散々泣き腫らした目をまた滲ませながら起きて来た。そして昨日と同じ言葉を繰り返す。
「お母さんはどこ?お父さんもまだ帰ってないの?」

「おはよう。お父さんもお母さんも、もう居ないんだよ、ここにはちよちゃんと僕しかいない。」
僕はそう言ってちよちゃんの側に寄る。
ちよちゃんは返事をしない。でも意味は分かっているようで、顔を一度くしゃっとさせ僕に抱きついた。
しばらくそうして、落ち着いたちよちゃんは顔を洗いに洗面所へ向かう。部屋着の丈の短いズボンからのぞく足には青と黄色のまだら模様が見えた。

ちよちゃんの両親が死んだという知らせは突然やってきた。
その時僕は庭で鳥を眺めていて、ちよちゃんは学校から帰ってきたばかりだった。
インターホンが鳴り、制服のままのちよちゃんが扉を開けると、前に一度だけ来たことのある区役所のおばさんと物々しい青色の服を着た数人の警察官がいた。
普段は静かな部屋の中にドタドタと沢山の足音が転がる。
僕はちよちゃんの隣に座って話を聞いていた。
どうやら交通事故にあったらしい、そして二人とも命を落としたのだ。ちよちゃんは他に親族も居ないし、まだ学生だったのでこれからの生活を区役所のおばさんが支援してくれる。という事だった。
ちよちゃんはじっと話を聞いていたけれど、だんだんとその目に涙を滲ませて次第に体を震わした。今日は説明だけだったようで、ちよちゃんを落ち着かせるためにも大人達は帰っていった。

「大丈夫?」
僕はちよちゃんに声をかけたけれど、彼女は無言でぽたぽたと涙を落としながらうずくまった。それ以上何もできないから、それでもちよちゃんの為に何かしたくて、僕はちよちゃんが泣き止むまでただずっと側に寄り添っていた。
それが、昨日の話。

洗面所から出てきたちよちゃんは、ご飯の準備をする。
沢山泣いたから、きっとすごくお腹が空いているはずだ。僕も手伝おうとちよちゃんの後ろに続く。ちよちゃんは器用だから、あまり手伝うことはなかったけれど。

ふたり分のご飯が並んだ食卓は静かだった。
いつも賑やかだったのはちよちゃんのお母さんとお父さんだったけど、ふたりはもう居ない。
ちよちゃんの箸を持つ細い腕がお皿と口元を行ったり来たりするのを横目に見る。僕と違って綺麗なその動作に見とれていると、視線に気付いたちよちゃんが僕を見てふふっ、と笑った。
久しぶりに見たその笑顔がとても綺麗で、何より僕がちよちゃんを笑わせることができたのが嬉しくて、僕までにっこりと笑った。
そうしてふたりきりで食べたご飯は今までで一番美味しかった。

僕がちよちゃんに出来ることはあまり多くない。
ちよちゃんはいつだって強くて、優しくて、器用で、一人でなんでも出来る子だったから。
お母さんは、ちよちゃんによく家のことを手伝わせていた。
学校から帰ってきたら大体家に居ないお母さんの代わりに洗濯や掃除やご飯の準備なんかをして、全部終わると今度は自分の宿題をやっていた。そうして暗くなってから帰ってきたお母さんはいつも煙たい匂いがして、苛立っていたり、逆に上機嫌の時もあった。

お父さんは、いつもクタクタで帰ってきてはすぐにお風呂に入って、ご飯を食べるときにはちよちゃんにお酒を注いでもらうのが決まりだった。その時はお母さんもお酒を飲んでいて、二人でケラケラと笑ったり大きな声で喋ったりして賑やかな食卓だった。でもたまに機嫌の悪い時は、ちよちゃんやお母さんを怒鳴りつけて怒り、その後は大体ちよちゃんが一人部屋に呼ばれては何か大きな物音がしていた。僕はいつも、お父さんが帰ってくる前にちよちゃんによって外に避難させられていたから、詳しいことは分からなかった。
お母さんとお父さんが寝に行った後、部屋から出てきたちよちゃんは僕にご飯の準備をしてくれた。ちよちゃんもお腹すいてるはずだったけれど、大抵は僕一人で食べていた。

僕はあまりお母さんとお父さんが好きではなかったけれど、ちよちゃんはそうではなかったみたい。一生懸命頑張っていたちよちゃんを、たまに褒めてくれて優しく笑う二人が、嫌いにはなれなかったらしい。
だけど、もう居なくなってしまったから、これからはもう僕とちよちゃんだけの世界になったんだ。
きっとちよちゃんは、まだ混乱していて、悲しい気持ちでいっぱいなんだろうけど。
僕は出来ることがあまりないけれど、いつでもずっと側にいるよ。ちよちゃんを絶対に傷つけないと誓うよ。悲しみが薄れるまで、寄り添い続けるよ。それが、唯一できることだから。

あのね、ちよちゃん。
僕は、君が大好きなんだよ。

どうか伝わりますように。少しでも君の力になれますように。

それからの日々は、穏やかに過ぎ、ちよちゃんは少しずつ元気になっていった。区役所のおばさんもとても優しくて、学校の友達や近所の人達も色々と助けてくれた。

今日は始業式、ちよちゃんは高校生になった。友達が迎えにきてくれるらしい。

「ちよ、おはよう!」
「おはよう、ごめんね待たしちゃって!」
新しいピカピカの制服に着替えたちよちゃんが、明るい声で返す。
僕は少しだけ寂しい気持ちでちよちゃんを見送る。

「おっ、お見送り?賢いねぇ。ゴールデンだっけ?」
「ラブラドールだよ。ごめんね、今日は学校早く終わるはずだから、お留守番よろしくね。」

ちよちゃんは僕の頭を撫でると、スカートをひらりと揺らしながら学校へと向かった。

さんさんと、陽の光が降り注いでいた。
それは、とても、美しい光景。
僕と君と光溢れる日常の世界の始まりだった。

ミックジャギーさん、初めまして。 お褒め頂きありがとうございます! 投稿など初めてだったのですが、感想をいただけてとても嬉しいです。

ありがとうございます泣 ショートショートと呼んでいいものなのか分からなかったので少し不安でしたが、読んで頂いて感想まで貰えたのがとても嬉しかったです。これからも少しずつでも書いていけるよう頑張ってみます!