『医者とトロッコ』

今から2問、あなたに質問します。直感でもなんとなくでもいいので、何か答えを出してくださいね。

1問目。トロッコが暴走し、猛スピードでレール上を走っています。このままだと、線路の先にいる作業員5人が轢死してしまいます。ただ、自分は線路の分岐器の近くにいて、進路の切り替えさえすれば5人を助けることができます。ただし、切り替え先のレール上にも作業員が1人いて、切り替えた場合その1人は死にます。
さて、あなただったらどうします?

では2問目。あなたは橋の上にいて、その下をトロッコのレールが走っています。また、あなたの隣にはかなり体重のある見知らぬ誰かが立っています。先ほどと同様に、5人の作業員が暴走トロッコに轢かれそうになっている時、あなたは「自分の体重では無理だが、隣の人を突き落としてトロッコに当てれば止めることができる」と気づきました。
さて、失敗することなく確実に突き落とせるとして、あなたならどうします?

はい、お答えいただきありがとうございます。これはトロッコ問題と呼ばれる問題で、倫理学の思考実験として非常に有名な問題です。
あぁ、問題とは言いましたが、正解なんてものはありません。なので、あなたのお答えも間違いではありません。まぁ、正解でもないんですが。
後の説明を分かりやすくするために例として出しただけで、特に深い意味はありませんよ。

ほとんどの方が1問目では切り替えることを、2問目では何もしないことを選択されます。助ける行為を行った結果止むを得ず1人が犠牲になってしまうのか、助けるためにあえて意図して1人を犠牲にするのか。その違いにより、選択も変わるのでしょう。

でも、私はほとんどの方とは違います。例え1問目であろうが2問目であろうが、1人を犠牲に5人を救うことを選択します。
だってそうでしょう?医者の本分はより多くの人を救うこと。
自分の職務を全うするためにも、例え自分の手を汚すことになろうと1人を犠牲に5人を救います。

私はあの青年1人を犠牲にする事でより多くの人を救おうとした。そして、実際に救うことができた。よく職務を全うしたと褒められこそすれ、どうして非難されましょう?

…そう、確かに、長期的に見たら1人を犠牲にしない方がより多く救える場合もあります。その1人がノーベル賞をもらえるほどの研究員で、将来的には彼が作った特効薬により何千もの人の命が救われる、とかね。

だからこそ聞いているんですよ。「1000年後の世界に興味はないか」って。
小説の世界ならいざ知らず、あんな荒唐無稽でおかしな話を信じるような、感嘆するほど単純な方が、将来多くの方を救えるとは私は思えません。

もちろん、「サウザンド・プロジェクト」なんて馬鹿げた話信じられるかと、あの青年に断られた場合は私も諦めましたよ。
ですが、青年は信じ、計画に協力すると言ってくれた。だから、私は彼を犠牲にした。医者の職務を全うするために。より多くの人を救うために。ただ、それだけです。

今後も続けますよ。私が医者として働くうちはね。

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