『青春流星群』

僕らに残された時間は、あとどれくらいなのだろう。

まとわりつくような湿度の高い空気を、浅い呼吸で肺に運ぶ。体の表面を覆う汗と相まって、まるで、水の中にいるみたいだなぁと思った。
ぼんやりした視界に映るのは、うな垂れたように首が曲がったおじいちゃん先生と、今はもうぽつぽつと空席になってしまった静かな教室。
隣の席の川谷さんは、一週間前に引っ越してしまった。
窓の外では、昼間の青い空に無数の光の筋が流れていた。
それは、まるで世界の終わりのような光景。

一年程前、夏の終わりのある日。

地球に隕石が接近中という簡素なテロップが、テレビ画面の上の方で流れているのを僕はぼうっとした頭でみていた。画面中央では人気ユーチューバーの密着取材が行われていて、ワイプに映ったタレントが大袈裟な表情で笑っていた。

隕石、あまり日常的でない文字が僕の頭の中でぐるぐると回る。思い浮かべたのは、小さい頃に母親と一緒に観た古い映画だ。迫る巨大な彗星に恐れ逃げ惑う人々、最後は勇敢な犠牲によって地球は救われる。あの頃はまだ映画の世界と現実の区別がついていなくて、僕は本気で怯えて母親に泣きついていた。

「なに?隕石、落ちるの?」

思い出よりも少し白髪の増えた母が、台所から顔を出した。

「分かんない。」

僕はそれだけ言って、また画面に集中する。
テロップはそれきりで、ユーチューバーがコーラを一気飲みする場面で僕はテレビの電源を消した。

「昨日のニュース観たか、隕石。東京湾に落ちたんだって。」

翌日の教室は隕石の話題で持ちきりだった。
前の席に座る友達は、何故か少し嬉しそうにニュースで知った情報を教えてくれる。

「なんかバカでかい彗星?が近づいてんだって。それで、これから昨日みたいなちっちゃい隕石がちょいちょい降ってくるらしいよ。」

「へぇ、そうなんだ。」

僕は気のない返事をした。
正直な所、自分の目で見たわけでもないものに実感が湧かず、大した興味も持てなかった。ただ、彗星という言葉にまたあの映画の風景を思い出して、ほんの少しだけ胸がざわついた。

「でも怖いよなぁ、落ちた衝撃でアクアラインとか一部崩壊したんだって。死亡者は奇跡的にいなかったみたいだけど、親父の後輩の知り合いも巻き込まれたらしくてさ…」
後半はもう聞いていなかった。僕の脳内では、隕石が直撃して崩れる校舎とそれを呆然と眺める自分の姿がありありと浮かんでいた。

最初の隕石落下から半年後、友達が言っていたように地球には沢山の隕石が降り注いでいた。そのうち天気予報では落下地点の予報までするようになり、皆んなそんな異常事態に段々と慣れていった。被害はほとんど小さく、負傷者が沢山出たのは初めの一回だけだった。
巨大彗星による地球滅亡説があらゆる媒体で唱えられるようになると、誰もが鼻で笑いながら、しかしどこか不安を抱えるようになった。
自暴自棄になって暴れたり、安全な場所を求めて転々と住処を移す人達が増えていった。少しずつ濁っていく世界は僕の中で映画の景色と重なっていくようだった。

そして今、空には昼夜問わず無数の光が流れている。
もはや落下予報も意味をなさなくなり、誰も巨大彗星には触れなくなった。
努めて普通の日常を過ごそうとしていた。

僕は暑さで朦朧とする頭を横に向け、空っぽの席を見る。川谷さん、もう会えないならこの気持ちを伝えておけばよかった。

静かな教室で僕は考える。

僕らに残された時間は、あとどれくらいなのだろう。

「あっ」

誰かが声をあげた。
空には彗星が割れた光の帯が散っていた。

一月前、世界各国の技術者が一丸となって作り上げた装置が地球を包んだ。それは流星を跳ね除け、彗星衝突に耐えうるものだった。世界は救われたと人々は喜び、そしてゆっくりと平穏な日常が戻っていった。地球の表面を滑る流星群は恐怖の対象から荘厳な景色へと変わった。

僕らの学校はもうすぐ廃校になる。少子化により隣の市と合併するためだ。小さい頃から親しんだ校舎、先生、友達とも離れ離れになる。

残りの日々を、青春を、僕らは平穏に過ごしていく。

眩い流星群とともに。

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