『水葬、朝陽の空白』

一滴の水滴が集まってこの世界が出来るというなら。

僕のこの両眼から零れ落ちるこの液体成分に様変わりした血液は悲しい世界を浸していくというのか。

君は僕をレイプした。
僕の背丈と君の背丈に20センチの差はあったはずだ。けれども身体は一ミリも離れちゃいなかったんだ。

僕が人間で女であったのが悪いのかもしれないけれど、僕は君の吐息を恐怖と快楽で覚えたんだ。

「ねぇ、一滴残さず沈めておくれ」

と僕に囁いた君は優しかった。この潔癖の世界に赤い染みを作り出した君は男で、3つは違うのに、痩せた肌は不健康だった。

「────」

指を絡めた君は「|真西《まにし》」と溺れた声で僕の姓を口にする。

君は忌々しくも、硝子玉でも触るように僕の身体を混ぜたんだ。

「君は幸せかい」

と微笑む汗ばんだ幸福に手を伸ばして髪を舐めたら心地よさそうに寝息を立てた。16歳の夏、もう高校には通えないと思った。

君のことを僕は「先生」と、あの頃には呼んでいた。いつでも神経質な字を書く静かな人。どれだけまわりが君の声なんて聞いていなくても歴史を垂れ流す、地味な眼鏡の男で。

僕の何がいけなかったか。私服で自由な高校で、男子として生きようとしていた僕を殺した最低野郎。

だけど、もう3年目。君との生活に僕は掻き回されてしまった。

最後まで君は僕を「真西」と呼び続けた。低くも通るその声で、吐きそうなほど滑って何度も、何度も。

「|夏紀《なつき》」

だからそれに気付いた。
そうかと、腕の中でただただ、溢れる思いとぼやけた天井の白が現実だった。

「妻が妊娠したんだ」

そうか。
最後まで僕は男だったのかもしれないと、ぼんやりと考えた。

去った背中はいつも通り、朝方に消えてしまう。

遊びだったのなら僕はまた、素直になれるかもしれないけれど。

一滴の水滴が集まってこの世界が出来るというなら。

いま何滴なんだろう、いまここは何処なんだろう。
滑り落ちる喉の痞に僕は一人考える。
今日もまた、世界の終わりに朝日が上ったのだと、そう考えてカルキ臭い、透明な風呂場の温い水滴を浴びた、梅雨の日。

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