ねえ ねえ センセー。
俺が側にいるからさ。
頼むからアルコールで死んだように寝ないでくれよ。
ねえ ねえ 先生。
その小さなヤツ、飲んだらよく寝れるんだろ?
原稿をくしゃくしゃにしたまま突っ伏さないでよ。
オレは先生の髪を爪に引っ掻け撫でるように話しかける。
「春先だからってうるせぇな、しゃらく」
オレをしゃらくと先生は呼ぶ。洋種と和種っぽいだろ?と。
冬の夜中に、Tシャツとコートにサンダルをはいて、猫じゃらしみたいな、雲みたいな細いのを口から吐いて指元の火を見ながら、ボサボサ頭は言ったんだ。
コートの中に入れられて、
人間とはオレたちみたいになまぬるく、とくとくと動くんだと知った。
しゃらくは英語と、日本人の画家なんだと、先生と呼ばれた男、この、机で突っ伏した男は言ったことがある。
オレが餌を求めて哭けば、「腹減ったのかしゃらく、」やら、「うるさいしゃらっぷ」だの、低い声で言うこの人間は、しかしたまに水で体を洗い流してくれるし、一緒に寝てくれる。
家族がいないオレには、初めての布団だった。たまに出ている羽で遊ぶと怒られる。
「目は青っぽいのに黒くて尻尾は短いのな、お前。モテなかっただろ」
と笑った先生に、
「うるせぇんだよ、お前だってひとりみじゃん」
と引っ掻く。大体は「はいはい」と撫でられるのが癪だ。
さっきまで泣いてたこいつの髪で遊んでみる。異常に泣いていた。しかし人間はどうやら、猫のように声を出しては哭かないらしい。
そう言えば先生、昨日朝方出て行った、猫のように泣く女はどこに行ったんだい?あれからずっと、あんた、静かだったけど。
「俺にも家族が欲しいよしゃらく。お前はどうだい?」
と、溜め息を吐いて紙に字を書き、くしゃくしゃに丸めたあんたには、到底家族なんて出来ないなと思ったよ。
…それにしても起きないしマタタビ臭いな。
近寄りたくないがなんだ、オレがその顔引っ掻いたら起きてくれる?いい加減布団で寝たいんだけど、先生。
そうして先生の顔をバシバシやってたら、先生が伸ばしていた右手の空き瓶が転がてしまった。中身は全部、こいつがさっき食ってた。そんなんで腹一杯になるのか、美味いのかなって、
コートの中に入れられた時の、腕の中で感じた肉付きの悪さを思い出した。あのごつごつとした心臓あたり。
けどね、それ、鼓動が眠くなるようで、好きなんだよ。先生。
いつもならこの机に乗ったら怒るのに、空き瓶を転がしても起きてくれない。
先生、疲れたのか。
あれからずっと、カリカリカリカリ、何か空気を眺めたりしながら、手を動かしてたもんな。
「締め切り間に合わない」
とか言ってな。最高の物語を書くって、数日意気込んでたもんな。
痺れを切らして先生の、首筋のシャツに頭を突っ込んでやった。背中が見える。電気はちょっと、薄くなるけど、トンネルみたいだ。
先生、今日は少し、鼓動がゆっくりだね。人間はそんな日、あるんだね。少し身体も冷たいね。
怒らないんだね、先生。
なんだよ、つまんねぇな。
「先生腹減ったよ、マジで」
けど動かない。なんだよ、本当に腹減ったんだよ。
頭を出して顔を覗いてみる。
瞼、腫れてんじゃん。
てか、やっぱり日の光を浴びないからじゃないの?少しむくんだね。
「うるせぇなぁ、しゃらく」
低くゆっくり言うときの、
あの、暖かい気持ちになる垂れた目元や上がった口元と違う。もう少し、硬いなあ。
「ホントにどうしたんだよ先生。
なんだよ、女にフラれたくらいで。元気出せよ」
家族ならいるじゃないか。
「愛されたいなぁ」とか言うけどさ。
オレ、あんたの暖かさ、好きだよ。なのになんだよ。今日は構ってくれないの?まだ飯も食ってないよ?
仕方ないなぁ。
開きっぱなしで部屋が寒い。外へ、出ていって。
とりあえず飯を探そうかな、先生と出会ったあの辺りで。
それでも起きないなら、オレは最近ちょっとムラムラしてるし、女の子とイイコトしてきちゃうかもしれないよ?先生が言うとおり、あんたと同い年くらいで若い男だもん、オレだってさ。
それでも起きなかったら。
先生、昼寝の時間は終わったんじゃないの?
ねえ、本当に知らないよ?布切れ一枚で寒そうだし、病気になっても知らないよ?
ずっとオレが声を掛けても目が開かない。
「うるせぇ、腹減ったのかしゃらく」が聞こえない。
一人でずっと、あそこにいたときに降ってきた低い声がない。どうして?オレはこんなに高い声で泣けるんだよ、先生。
まぁ、じゃぁ散歩してくるよ。
夜の街は寒いけど。暗闇に紛れるように、歩いてみるよ。
風にあの丸めた紙がゆらゆらと、木の地面でそよいでる。
風が吹く方へ歩いていく。いつも先生が煙を吹かす場所。
「これは猫じゃらしじゃねぇよ、タバコだよ」
そう言った場所。ちょっと高いんだ。でもまぁ、煙は白いから上に登るけど、オレは黒いから下に着地出来るんだ。
足場から、草むらへ。
ひんやりと少し湿った土と草。生まれた場所、こんなんだったかも知れねぇなと。
綺麗で静かな月に、柄になく黄昏て微睡みながら、取り敢えず、何か食べようと歩き出した。
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