『ヒョンヒョロ』

 その店は、俺のお気に入りだった。
 レバ刺しやユッケの鮮度、もつ煮の絶妙な煮込み具合。醤油、塩、味噌と三種類ある串焼のタレの塩梅も最高だった。
 ハイボールを頼めば大ジョッキにウィスキー5:ソーダ5を並々注いだものが出てきて、一杯でヘベレケになれてしまう恐ろしい店でもあった。
 今日も今日もとて会社帰りに一人、吸い込まれるようにその店に入った俺は、ハイボール一杯にレバ、シロ、カシラをそれぞれ味噌で二本ずつ頂いてから〆には煮込み。
 つい、もう一杯いきたくなる所だが、客回りのいいもつ焼き屋で長居は厳禁だ。
 勘定をしようとポケットの財布に手を伸ばした、その時だった。

「マスター、今日『ヒョンヒョロ』入ってる?」
 いつの間にか俺の隣でホッピーをあおっていた女が、カウンター越しに店主にそう尋ねたのだ。

「すみません、今日も手に入らなかったんですよ」
 初老の店主が残念そうな顔で女にそう答えた。
 『ヒョンヒョロ』? 俺は首を傾げる。ホルモンの部位の名前だろうか?
 だが妙だ。もう何年もこの店に通っているが、そんなメニュー、聞いたことないぞ?

「あの、ちょっといいですか? 『ヒョンヒョロ』って一体?」
 俺は女に声をかける。女が俺の方を向く。
 もつ焼き屋で一人酒する姿もバッチリ様になる、スレンダーな美人だった。

「あら、知らないの?」
 女が俺にそう答えた。

「あんな美味しいトコロ、他では食べたことないわ……」
 女は一言そう言って自分の白ホッピーを飲み干すと、早々と勘定を済ませて風の様に店を去って行った。

 それからの俺は、これまで以上に足繁く店に通っては事あるごとに『ヒョンヒョロ』なるメニューが入っているかどうか、店主に尋ねた。
 だがその度に、店主は残念そうに首を振るだけ。まだ見ぬ『ヒョンヒョロ』への俺の憧憬は、日毎に膨れ上がって行くばかりだった。

「マスター、今日『ヒョンヒョロ』入ってる?」
 今日も今日とて、カウンター越しの店主にそう尋ねる俺だったが、

「すみません、今日も手に入らなかったんですよ」
 初老の店主は残念そうな顔で俺にそう答えた。

「あの、ちょっといいですか? 『ヒョンヒョロ』って一体?」
 俺の傍らの、見知らぬ男が俺にそう訊いてくる。

「おや、知らないのかい?」
 俺は悔し紛れに男を向いて答える。

「あんな美味しいトコロ、他では食べたことないね……」

ニヤッとしてしまった。おもしろーい!