『融解の、朝でした。』

 後で言いたかったことなんてこの微かな朝靄と同じような気がしてしまうんだ。

「どうしてなんだろうね」

 どうしてなんだろうね。

「たいした大人になれなかったのかもしれないね」

 そうだといいね。
 たいした大人になんてなりたくなかった19歳、その未来なんて朝靄の筈だったんだよね、君ってさ。

 「君にはどんな未来が見える?」と必死になっていた彼女に問いかける。
 「未来はどこからどこまでかが見えない」と反論するかもしれない。本当に次の瞬間が未来かなんて、実感したことなんてあったのか、どうか。

「自分が嫌いで嫌いでどうしようもなくて誰彼構わず押し付けて、それもまた嫌いになったら吐いて吐いて吐いて、口にニキビができて潰して、それも潰れない」
「だったら私に出来たこの口の中の出来物は吹き出物だろうね」
「大人になって、」
「指突っ込んで引っ掻いてみると良いよ」

 そこで、立ち止まれたら良いよね。

「指に着いた血を見て、「膿じゃなかった」と吐き気がしてそのまま吐いちゃうことも朝には必要だろうよ」
「その血はこうして吹き掛けて君に言う、それが流れているのかもしれないよ」

 そうして。

「誰かにそういうこと、一回で良いから言われたかったなって、ぼんやりすることもあるけど、」
「だから、」
「いつか嫌悪が優しさになったらいいなって、優しく思えるほど、しょうもなくなっていくからさ」

 何が言いたいか。
 自己顕示はいつだって鮮血じゃないか。殺して、流れて、空気に触れて、そうやって誰かを愛して虚しくなって。

 海馬が食べられたとしても。
 明日健忘してしまっても、過去を忘れてしまっても。

 どうして生まれたかと躍起になるより、そんな眩暈は本当は耳鳴りのようじゃないかいと背中に問う。息が止まる直前の、あの突発性に、肺を浸して、世界の音はぼやけていく。

「雨のように泣いている大人だった」

 こう書き足して、ぼやけてみよう。世界はきっと、ぼやけて見える。

 たまにこんなことだって、忘れないように。

 葬式の、朝だった。

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