『どうけもん』

 十二月。
 忘年会とクリスマスと大晦日と新年の準備がまとめて押し寄せる季節。
 各種イベントスペースと、レストランやバーなど飲食フロアが充実しているホテルは戦場と化する。
 一方、私がチーフをつとめるブライダル事業部セレモニー課は、と言うと――

『1年の世相を漢字ひと文字で表す“今年の漢字”が京都清水寺で発表され、
 今年発生した自然災害により多くの人がダメージをこうむったことから、
 災害の“災”の文字が選ばれました。続きまして次のニュースは……』

「なーんだ。途中まで“くくく”って続いてたから温泉マークかと思ったのに」
 能天気にケータリング部のサンドウィッチを頬張る我が部署の問題児を
「それじゃあ漢字じゃなくて記号でしょ? ほーんっとばかだよね。キミは」
 彼よりも一回り若い派遣社員の咲ちゃんがたしなめている。
「でも、咲さん。斬新だと思いません? “わざわい”より感じいいし。
 なんていうか癒やしっていうか。ストレス社会にもマッチするっていうか」
「てか、君にストレスなんてあるのかい? 与太郎くんさー」

 結婚式場の繁忙期は、春先の四月から六月と、秋口の九月から十一月とされる。猛暑と底冷えを配慮すれば当然のこと。
 総勢五十名近くいた人員も、営業企画開発課や別事業部など、臨時ヘルプ前に所属していた部署に戻り、
 現在は非正規雇用スタッフをまとめる私と、給仕接客(いわゆるメイド服担当)や総務全般を統括する咲ちゃんの少数精鋭体制となっている。

 勿論、閑散期であっても挙式はある。夫婦になりたいと願う情熱と勢いと打算に季節は関係ない。
 そして、今年の漢字が“災”だろうが、本日が仏滅だろうが、ウェディングベルを鳴らすカップルはやって来る。

「咲さん、今日のクライアントって外人さんっすよね?」
「式だけじゃなくて披露宴もやるんだって。うちのプラン通りで」
「日本大好きっコ外人かー。和装コスプレショーしたかったのかもね」
「てか、紋付袴も白無垢もコスプレじゃないって」

 本日のお客様は、愛と情熱の国スペイン人。
 アミーゴとアモーレとムーチョとパンチョとサルサと……
 実のところ、あまり詳しくないが、
 社内の情報共有タブレットを見ると、名前がやたらと長い。日本で言えば、苗字にあたるファミリーネームが、両親それぞれから与えられるらしい。

 かの絵画の巨匠ピカソも正式名は、パブロ・(中略)・ルイス・イ・ピカソの73文字。
 寿限無の136文字に比べたら楽勝ではあるが、私は落語家ではなく、中間管理職――それも非正規雇用が九割以上のしがない部署の。暗記するなど到底ムリなのだが。

「チーフ、聞いてました? 『ラブキューピッド社』のMCさん来れないみたいです」
「うひゃマズィーっすね。俺が代わりましょうか? リーガエスパニョーラ大好きっコだから大丈夫っすよ」
「いやいやいや、君がやると君が主役になっちゃうからさー」
 
 外注の司会者を手配できない場合、チーフの自分が担当せざるをえない。
 ふだんは寡黙で通っている。咲ちゃんから「チーフからも“声に出して”怒ってやって下さい」と何度も言われている。だが、過去に何度か代行したこともあるし、いつもの接客のように気負う必要はない。マイクを通して大勢の前で話すと思わなければ大丈夫。平常心キープしてればノープロブレム。何の心配もない。たぶん……
 
「なーんだ日本語わかるんだって。やっぱ俺が……」
「君がやったら国際問題に発展しそうだからダメだってば。
 お客さん全員スペイン人らしいし」
「うひょー無敵艦隊こえーー」
「ほんとマジで変なことしないでね」
 咲ちゃんは手綱をがっちりホールドしている。彼女が上がり症でなければ任せたいものだが。

「それと、わたし英語しかわかんないので、あんまり自信ないですけど。
 チーフでも読めるように米国風アクセントを片仮名で書いときました」
 咲ちゃんは私にメモを渡すと更衣室に向かった。

 新郎と新婦の名前それぞれが書かれた二枚。
 数年前までの女子高生のクセが抜けてないユルい字体。ではあるが、文字の上からアクセントの抑揚がわかるように、丁寧に蛍光ペンで矢印マーキングされており、隅っこに
『p(#^▽゚)qファイト』と顔文字イラストが描かれてあった。
 少しだけ緊張が抜け自信が出てきた。

「では、これより――」
 たどたどしい司会であるが、新郎新婦の名前もそれなりに流暢に紹介できたし、滞りなく進行できてると思っていたが

「ヘイユー! お前らチャイニーズは、俺らスパニッシュを馬鹿にしてるんか?」
 酔客に絡まれた。
 人種柄、地肌が白いので赤ら顔がハッキリ目立つ。
「私は日本人でございます。御無礼がありましたなら謝罪いたしますので……」
 私は懸命に謝ったが、
「だったらよー、我らがスペインの巨匠ピカソの名前を答えてもらおうじゃねーか」
 コミュニケートできなかった。

 論理展開がむちゃくちゃすぎる。
 酔っぱらいの絡み酒は万国共通なのかもしれない。
 しかし困った。
 たしか寿限無より短かったはず。

『ピカソ(空白スペース)フルネーム』
 私はタブレットに打ち込み、《送信》してみたものの、
 セキュリティリスク回避のため外部接続不可能だったのを思い出した。
 ネット検索できない。休憩中に調べてメモしとけば良かった。

 脇から額から脳天から尋常じゃない汗がほとばしる。
 焦る。
 演台テーブルのミネラルウォーターも空っぽだ。
 焦る。

 私がうろたえていると、
「フォーー!!」
 いきなり絶叫とともに、レイバンのティアドロップをかけ、黒光りしたホットパンツ姿の与太郎が現われ、
「ゴーゴーゴー!! アレアレアレー!!」
 と、ゴールドフィンガーの替え歌をアカペラで熱唱し始めた。

 よく見ると、十年くらい前に流行ったレイザーラモンHGのコスプレ姿だったが、なぜかスペイン人たちがみな喜んでいる。
 与太郎は赤ら顔の耳元で何かを囁くと、赤鬼のほうからハードゲイにハイタッチし、そして抱き合い、椅子のクッションをパーカッション代わりにサルサを踊りだした。

「なんかアイツ、ほんとにスペイン詳しいみたいですね。
 あの歌、『ゴールドフィンガー』の元になった
『リッキー・マーティン』の『カップ・オブ・ライフ』のスペイン語バージョンの
『ラ・コパ・デ・ラ・ヴィダ』って曲みたいですよ」
 咲ちゃんはミネラルウォーターを補給すると、
「それと、はいコレ。彼から伝言みたいです。タブレットのグループメッセ使えばいいのに。なんでわたしがアイツの小間使いさせられてんの」
 文句を私にぶつけてバックヤードへ消えた。

 咲ちゃんからもらったメモには
『ピカソの名前はパブロですよ。
 というか、ほとんどの国の人の名前はファーストネームだけ。
 ピカソのフルネームが長いのは、
 洗礼のときにカッコつけていろんな偉人の名前を追加しただけですよ(笑)』
 と書かれてあった。

 なんだよ。とんちかよと思いながら、裏に書かれたメッセージを読んだ私は思わず苦笑した。
『結婚式には三枚めも必要でしょ? By与太郎』

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