ある路地裏に小さな電気ポットが捨ててあった。花柄で一昔前のデザインをしたそのポットの外見は非常に美しく…、というよりも新品と同じ輝きを持っていた。まるで次のオーナーを探しているかのようだった。
ある日の夜、サラリーマンの男が、ほろ酔い気分でそのポットが捨ててある路地に入った。尿意を催したのだ。男は勢いよくアルコールの入った尿を、ポットのそばで撒き散らした。
股間のチャックを閉め、いざ家路に着こうと踵を返したとき、ポットが男の目に飛び込んだ。
「なんだこれ、新品じゃないか。」
そう呟きながら男はポットを持ち上げ、シゲシゲとポットを顔に近づけて確認した。傷一つなかった。
「こりゃ得したな。ネットで新品って嘘ついて売れば小遣いになるじゃないか。デザインもなかなか洒落てる。」
そう言いながら、数千円に変化するであろうポットを撫でた。
その時…。
ボンッ!
と、突然ポットが勢いよく開いた。硫黄くさい煙を撒き散らし、あたりは真っ白になった。男は咳き込みながら、煙を追い払うようにブンブンと腕を振り回した。
ようやく煙が消えた時、目の前に小汚い中年が立っていた。禿げた頭皮に大きなホクロが乗った鼻。小麦色というより土気色の肌。ニヤッと笑うと、ガチャガチャの歯がむき出しになった。服装はシャツにステテコに草履。部屋着といえる服装だった。
目の前に突然見知らぬ中年現れたにもかかわらず、男は微塵も恐怖を感じなかった。むしろ男は、その中年の小汚い格好に優越感を感じ、鼻で中年を笑った。
「お前が俺をよんだのか?」
「は?呼ぶ?」
いきなり現れた中年にお前と言われ、男は少しムッとした。中年は構わず続けた。
「さっきポットをこすったじゃないか。そのポットをこすると俺を呼んだことになるんだよ。見渡すとここにはお前さん以外いないようだ。だとすればお前さんが俺を呼んだに違いない。」
中年は格好から想像できる通り、鄙俗で下品な言葉遣いで、誰にでもできる推理を男に披露した。
男はその話を聞いて、アラビアンナイトを連想した。中年の登場の仕方はアラビンナイトに酷似している。魔法のランプがポットになったのと、中身が少しへんてこりんな中年だという点が違うが、ひょっとすればこいつはものすごい力を持っているかもしれない。そうだ、人は見かけによらない。男は期待に胸が膨らんだ。
「お前、ひょっとしてアラビアンナイトを想像しているだろ?」
男の心の内を見透かしたかのように中年はいった。笑うときの歯が真っ黄色で不快だった。
「俺を呼び出した奴らは全員がアラビアンナイトを想像するんだよな。確かに登場方法はそっくりだが、俺はお前の欲を満たすために登場したんじゃないよ。逆だ。むしろ俺は、お前を不幸にするために出てきたんだ。」
さあ、全然違う方向に話が進み始めたぞ。男は眉間にしわを寄せ、首を傾げた。
「じゃ、あなたはアラビアンナイトに出てくるような魔人ではないのですか?」
中年はかっかっかと大笑いしてこう言った。
「俺はお前を不幸のどん底に陥れるために出てきたんだよ。俺に名前はないが、みんな俺を悪魔って呼んでるよ。」
「でも悪魔って黒くて尻尾が尖っていて牙が鋭い姿をしているのではないのですか?しかもそんなに下品な話し方をするなんて私の思っている悪魔とは随分違うようなのですが…。」
「お前もそんなこと信じてたのか?それはお前ら人間が、どこから仕入れたかわからないガセネタを信じてるだけだ。さて、お前さんを不幸にするからな。」
男は一歩後ずさりした。中年は運動ができなさそうな体型をしている。このまま走り去ったら逃げれる気がしないでもなかった。
「おっと、逃げようってたってそうはいかないよ。俺はどこまでもついていく。何しろ悪魔だからな。安心しろ。俺ができることは男女の恋仲をぶっ潰すことだけだ。これも知られていないが、悪魔は愛を破壊することしかできない。それ以外の力はお前ら人間が勝手に想像したガセネタだ。だからパートナーがいない連中にとって俺は無害だ。もしお前に女がいなければ俺はさっさと消えてやる。しかし…待てよ…。」
中年は目をカッと開いた。
「お前女がいるな。やった、お前の愛をぶっ潰してやる。覚悟しろよ。もう俺を止めることはできないぞ。はははははははははは…。」
中年は一人勝手に大笑いをし、一瞬、真っ赤に光ったかと思うと、その場から消えてしまった。
一人取り残された男はその場に立ちすくんだ。中年が勝手に盛り上がって、勝手に消えていったので、どう反応すべきかわからなかったのだ。
「俺の愛が一つ消えたのか…。」
男は肩を落としてその場を後にした。その後ろ姿には哀愁が漂っていた。
さて、数か月後のある日。
息を弾ませた男は、またあのポットを目的に路地裏を訪れた。
「なんて便利なんだよこのポットは。」
男は浮気も不倫も平気な生粋の遊び人だった。
男は迷いなくポットをこすった。
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