悪い星の下に生まれたのだろう。男はとにかく運が悪かった。
横断歩道に差し掛かれば信号は赤に変わり、男がトイレに行けば、トイレットペーパーはいつも芯だけ。人生唯一掴んだ幸運は、大手企業に入社出来たことだけだった。が、その会社も倒産してしまい、社屋は名前も知らない企業の手に渡っている。今男が所属する会社は、ボーナスも退職金もないゼロ歳企業だ。
これだけ運が悪いのだ。いつかはその反動で、驚くような幸運が舞い込んでくるだろう。ひょっとすると、とびきりの美女が自分に迫ってくるかもしれない。宝くじが当選して、今までの不運を帳消しにしてくれるかもしれない。
そんな有りもしない現実を想像するのが男の唯一の楽しみだった。
そう、あのルーレットを発見するまでは…。
そのルーレットは、仕事終わり、怪しげな露天商の親父から購入した。
露天商の親父は、ねずみ男のような布を頭からかぶり、冬の寒さに震えながら客が来るのを待ち続けていた。いつもは見かけない露天商だったので、男は興味を持った。今思えば、あの時の冷やかしが男の運命を大きく変えた。
その露天商は、汚げなブルーシートに商品を並べただけの簡素な佇まいをしていた。並んでいる商品も、古臭い鍋やオタマ、竹でできた籠など、取るに足らないものばかりだった。
「お兄さん。なんだか浮かない顔しとるのぉ。」
目ぼしいものがなかったので、踵を返そうとした時。露天商の親父が声をかけてきた。男は人に声をかけられて無視するような非常識な男ではない。男は再び露天商の親父に目を向けた。
「運がないからね。運がなけりゃ、人はこんな顔になるんだよ。俺は昔から運がない。会社は倒産するし、好きな女の子は他の男に取られるし、今までいい事なんて一つもないよ。」
「そうか、でもまぁ見た所サラリーマンみたいだからまだいいじゃないか。俺なんてこの通りだよ。」
露天商の親父は、そう言って立ち上がった。確かに露天商の親父は見すぼらしく、社会の敗者と言ってもおかしくない容姿をしていた。
一緒にするな。男はそう言いたかったが、ぐっと気持ちを抑えて一言「じゃあな。」と言い、再び家路につこうとした。
その時だった。露天商の男がブルーシートの上にあった玩具のルーレットを男の胸に押し当ててきた。
「お前さんにぴったりの商品だ。このルーレットは特別でな、朝起きてすぐに回せば面白いことが起こる。まぁ、使って見な。お代はいらねえよ。」
そう言ってルーレットを手渡した露天商の親父は店を片付け始めた。
次の日の朝。
男はルーレットを目の前に置いて首を傾げていた。
ルーレットに書かれた内容が明らかに昨日と違うのだ。昨日は、ルーレットの盤面に数字が書いてあった。しかし、今見てみるとそこには「赤信号だけ」「電車が遅れる」「パソコンが潰れる」「好きな子から食事の誘いがある」など、意味のわからない文章が並んでいた。
男はその不思議なルーレットを見て少し怖くなった。しかし、ルーレットには人を惹きつける妙な魅力があった。男は恐怖よりも、好奇心の方が先行していた。
男は徐ろにルーレットを回した。
カラカラと小気味良い音を鳴らして、ルーレットは回り始めた。そして数秒後、ルーレットは「パソコンが潰れる」の所で針を止めた。直後、ルーレットの盤面は数字へと変わった。
「なんだよこれは…。」
首を傾げる男…。
だが、後に男はこのルーレットに秘められた、とんでもない力に気がつくのだった。
あれから数日経った。
男は相変わらず毎朝ルーレットを回していた。
ルーレットの力は、男にとって実に魅力的なものであった。
なんとルーレットに書かれた内容は、その日に男が遭遇する”出来事”のリストであった。そしてルーレットを回すと、針の止まった所に書かれた”出来事”が消去される。その上、ルーレットの盤面に列挙された1日に起こる出来事は、殆ど全てが不幸な出来事であった。幸運な出来事は、通常のルーレットで0の書いてある所たった一つだけであった。いくら運が悪い男でも盤面に書かれた”出来事”は全部で37ポケット。単純計算でも一ヶ月と一週間に一度しかそこに針は止まらない。
数多い男の不幸から、一つだけと言えど、不幸が消えるのである。不幸な星に生まれた男にとって、そのルーレットは神様からの贈り物以外の何者でもなかった。
いつしかルーレットを回す事は男の習慣となった。朝起きて、枕元に置いたルーレットを毎日回す。その結果に一喜一憂する。不思議と大きな不幸が消去された時は、会社に行く足取りも軽く、仕事のやる気も俄然ちがった。
時に男の回すルーレットは幸運を指す事もあった。1日の中から幸運な出来事が一つ消えるのである。しかし、もともと不幸な星の下に生まれてきた男の幸運なんぞ、とるに足らないものであった。そのため、男はなんら気を負わずにルーレットを回すことができた。
ルーレットを回し始めて半年が過ぎた頃、男は再び露天商の親父を発見した。露天商の親父は、男を待ち伏せしていたようだった。
「どうだい、あのルーレットの力は?いいだろ?でもな、あれはこの世のものじゃないんだ。だからそろそろ返してもらいてぇ。もう満足しただろ?」
唐突に露天商の親父はそう言った。
「は?なんでだよ。俺はもう貰ったって認識だったんだぞ。今更返せなんてふざけるなよ。」
これほど素晴らしいルーレットを返す人間がどこにいるだろうか?男は吠えるように言った。
「俺は一度返せって言ったんだ。何があっても知らんぞ。」
露天商の親父は急に寂しげな顔をした。と思ったら、露天商の親父は闇の中に消えて言った。
「あんないいもの返してたまるか。」
男は吐き捨てるようにそう言って家路に着いた。
さて、露天商の親父と再会した翌日のこと。男はいつもの通り、朝起きて早々にルーレットを回した。
直後、男は発狂してしまう。
頭をかきむしり、家の壁を殴り、大声で自分を罵った。
それもそのはず、ルーレットが止まった所には、「宝くじ高額当選」と書いてあった。
そうゆうもんなんでしょうね、人生は! 良きも悪きも自分次第、諦めづに努力するが最善ですね。