『雨の音で目が覚めた』

 雨の音で目が覚めた。
 暑さでだるくなった身体を起こすと、寝るとき身体にかけたタオルケットがベッドの下にずり落ちていた。枕もとの時計は、午前2時過ぎを指している。蒸した部屋の空気の中で私の目は完全に冴えてしまっていた。電気を点けるのも面倒だったので暗がりを手探りのままに歩き、冷蔵庫から麦茶を取り出した。適当なグラスを掴んで注ぎ、一口飲む。麦茶はよく冷えていて美味しく、体に染み渡る心地がした。そういえば夕方から何も飲んでない。麦茶のグラスを持ったまま、私は窓へ寄りかかった。
 雨は割合強く降っていた。けれど、ベランダにはひさしがついているから部屋に雨粒が入ることは無いだろう。私は窓を開け放した。
 ふわり、と湿ったアスファルトの独特な匂いが流れ込んできた。雨の匂いだ。湿って重たい風が寝起きの身体を撫でていく。そんな風でも火照った体には心地よかった。首元に纏わりつく長い髪の毛が鬱陶しくなって掻き上げる。寝巻にしているTシャツの隙間を通った空気は不思議とひんやり冷たく感じた。雨が延々と降っている。ザーザーというざわめきだけが辺りに響く。
 昨日、私は大学を休んだ。理由は体調不良である。朝から身体が重くて、体温を測ると37.5℃の微熱だった。無理をして拗らせるのは嫌だし,授業の出席は足りている.そのままベッドに寝転んで,そのまま眠りについた。
次に目を覚ましたのは午後12時半だった。天井を見た瞬間に、借りていた図書の返却期限が今日までだったのを思い出した。のっそりと起きて顔を洗い、窓の外を眺めて本だけ返しに行こうか一応悩んだ。アパートの前の道路に買い物袋を提げてにこにこと微笑んで歩く親子と、つんとした様子で塀の上を歩くブチ猫が見えた。しばらくそれをぼんやりと視界に入れていたが、ふと思いついてメールアプリで大学の友人に授業のレジュメのコピーを頼み、ついでに本の返却は諦めて,私は再びベッドの上に帰った。
 その次に目を覚ましたのは午後4時だった。のどが渇いたので麦茶を注いだグラスを煽った。窓の外ではまだ太陽がじりじりと道路を灼いていた。ずっしりと荷物を抱えたトラックが細い道を狭そうに、しかし滑らかに通って行ったのが見えた。私はゆっくりとカーテンを閉めた。携帯には何も連絡が無かった。
ベッドに寝転がっても少しの間寝付けなかった。そのうちにわかに部屋が暗くなっていくのがわかった。カーテンは閉め切っていたけれど、この時期太陽が沈むには早い時間だったので、分厚い雲がやってきたせいだというのはなんとなくわかった。頭が痛くて重い。それでも目を閉じるとゆらゆら夢の中に引き込まれた。
 雨はまだ降り続けている。誰もいないアパートの前の細い道で、真っ暗な空気に圧し掛かるように降っている。私は意味もなく寂しくなった。けれど何故だか安心した。痛かった頭は治っていた。
 梅雨はまだ明けない。雨雲はいまだになお頭上に居座っている。分厚い雲のせいで夜空はずっと低かった。ベランダから見える道路には人一人、車の一台も走らない。こんな時間なら当たり前なのかもしれない。でも不思議なものを見ている心地だった。昼間晴れた空の下で、乾いたアスファルトの上を、親子なり、猫一匹なり、トラックなりが通り過ぎていったのを思い出す。
 昼間外にいる人たちは、誰も狭い部屋の中の私なんかに気づかない。大学にいる友人たちだって、きっとさして気にしてはいない。私が普段学校にいるとき、休んだ友人をたいして気にしていないようにそれは当たり前なのだ。でも、ひどく寂しい。日中私が歩くはずだった道に私がいなくても、何にも変わりはしないのだ。誰も気づきはしない。
 雨は、誰もいない夜をひたすら降る。私が見ていることなど関係ないのだ。
 ベッドに戻ると携帯のランプが光っていた。それでも友人はレジュメを印刷してくれたらしい。

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