『老人と犬』

 ざぁぁぁぁ。ざぁぁぁぁ。波は穏やかに砂浜を滑る。ざぁぁぁぁぁぁ。レースのカーテンは、黄の混じった砂を土色に染め、白い泡をところどころに残し、ゆっくりと海へと返る。
 海は藍に緑のミルクが落ちたような色合いで、波の稜線が盛り上がり、それが生きていることを知らせる。
 はるか遠くの山がうっすらと、しかしやけに近く映り、空には色の薄い雲がかかり、太陽は白く透けて輝く。水面の一部にそのライトは照って、網膜にも白い斑点が残る。
 ざぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
 老人が犬を連れて、砂浜を横切る。犬はぐいぐいと紐を引っ張り、やがて老人は駆け足になり、とうとう砂浜を駆けだす。犬は尻尾を振り、首を上げ下げし、砂を散らし、老人の手の平に紐がくいこむ。足が持たず、背中がきしみ、笑いがこぼれ、とうとう歩が止まる。肩でぜいぜいと息をした。冬の暖かな日。風が休むこの時。濃紺のジャンパーの中でうっすらと汗が滲んだ。老人は口を丸める。
「ジョン、そんなに急いちゃいかんよ」

 ざぁぁぁぁぁん。浜から競り立った小山に、木のベンチがある。葉を半分散らし、残ったそれも落葉色に染めた松の間から、老人と犬は一面の海を望む。ざぁぁぁぁぁぁん。風を取り戻した波は跳ねるように勢いを増し、音にも水を弾くそれを加える。日はゆっくりと遠山の上に降り、色に朱を加えていく。穏やかに緩やかに時は過ぎ、犬もただじっとそれを見つめる。老人も缶ビールを片手に、その空気の一部となる。ざぁぁぁぁぁぁん。遠くから終日を知らせる市内放送が響く。電子ピアノのような、不器用なメロディは、サザンオールスターズのつもりか。太陽が山に隠れ、その余韻が紫に赤い灯を残す。空を見送ると立ち上がり、老人は犬を連れ、細い枯れ草と砂のかかったコンクリートの道を帰っていく。

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