『共感覚』

 私は共感覚の持ち主だ。
 共感覚…。
 この特殊能力を理解している人間が、この世の中にどれほどいるだろうか?
私は断言する。共感覚という言葉を知っている人間がいるとしても、この感覚の苦悩を真に理解している人は、共感覚を備えた人間だけであるということを。それほどにこの感覚は苦しいのである。
 私は幼き頃から、聴覚から得るあらゆる音に対して、色彩を感じてしまう「色聴」と言われる感覚を持っている。

 昔、ピンク・フロイドというバンドのシド・バレットという人物がいた。彼も「色聴」を持っていたそうだ。
 彼は、音で捉えた色に対して、楽器を使いレスポンスを返した。
 あらゆる音が色を帯びて脳内に侵入してくる。そのおかげで、「色聴」を持つ者の脳髄は、様々な色に襲われ、混乱してしまう。
 世界は音で溢れている。私にとって世界とは、赤や青や黄に塗られた狭い部屋にいるのと同じだ。故に私は今でも、色の情報に翻弄される毎日を過ごしている。気が狂ってしまいそうだ。この色鮮やかな眩しさに耐えられる者はそういないだろう。
 シド・バレットの話に戻そう。
 多くの共感覚の持ち主は、その感覚から興じる苦悩を、何らかの方法を用いて、己の脳内から脳外へアウトプットする。これは、共感覚の持ち主であるが故、共感覚という常軌を逸した感覚から少しでも逃れようとする逃避行為なのだ。
 シド・バレットはその代表者だ。
 彼は楽器の演奏ができたので、音で捉えた不純を音で吐き出すことができた。彼の奏でる音楽の多くは、混沌と混乱に満ち溢れた誰にも理解しがたい作品であった。

 さて、かくいう私も、「色聴」から逃れる術を持っている。
 「絵」だ。
 私は幼少の頃から、色彩に己が支配されそうになった時、筆を持ち、紙にその情報をアウトプットした。
 小学生の時の課題で、「遠足の思い出」というテーマで絵を描く時、同級生の多くは、目で捉えた画を画用紙に描いた。が、私は目で捉えた色だけを画用紙に描いた。その絵はキャンパスをぐちゃぐちゃに塗りたくっただけの絵だった。
 勿論教師は首を傾げ、私の描く絵に理解を示さなかった。

 毎日絵を描き続けたおかげで、私の作画技術はどんどん上達して行った。十代二十代で描いた作品は数百から数千にのぼった。その作品のほとんどが難解な作品であった。

 ある日、変な絵を描き続ける私に対して、テレビの取材がやってきた。レポーターはカメラの前でこう紹介した。
 「難解ながらも美しい作品を多く描く画家」
 確かに若き日の私は鮮やかな色を描くことが多かった。精神的に未熟であった私は、音に対して美麗な部分しか見えていなかったのだ。

 しかし、30歳をすぎた頃から、私の作風は大きく様変わりした。
 世の中の美麗な部分しか見る事の出来ない十代二十代と違い、精神的に成熟した私は、世の中には醜悪な一面があるということを知ったのである。
 空は一見美しいが、必ず夜がやってくる。
 月は一見美しいが、上陸すると荒れ果てた大地でできている。
 太陽は神秘的に見えるが、実際は地獄のような業火に覆われている。
 悲しきかな、音もそうであった。
 音は、表面的にいくら美しい色をしていても、その裏には醜悪な色が存在しているのであった。
 いつしか私は、その事実に怯えるようになった。

 次第に私は、感じた感覚をいかにリアルに表現するかということに尽力し始めた。
 感じた感覚のまま、筆を走らせる私…。
 感じた感覚を表現するために、私は手段を選ばなかった。
 時には虫を殺し、その体液を使った。
 またある時には、自分の排泄物をキャンバスに塗りたくった。
 いつしか私の描く作品は、彩度の高い作品ではなく、陰々滅々とした画風に変わった。
 皮肉にも、私の絵が高値で取引されるようになったのは、この頃であった。
 生活は楽になったが、音に潜む醜悪な色彩からは逃げることが出来ず、私は常に怯えていた。
 馬鹿げたことに、私の絵は数千万から、時には億単位で取引されるようになった。
 裕福であるが、私の心は貧相であった。

 冒頭で紹介したシド・バレットは、1968年にバンドを脱退している。その後、二枚のソロアルバムを残してはいるが、彼は何かに怯えるように、イギリスの田舎へ身を隠した。そして、60歳になるまで、メディアの前に姿を現すことはなく、極度の鬱病と糖尿病になり、この世を去った。
 死ぬ寸前は、目がほとんど見えなかったそうだ。

 精神的に追い詰められた私は今、シド・バレットと同じ道を歩もうとしている。
 音に怯え、色に怯え生きている私…。
 人は私をどう見ているだろうか?大馬鹿者だと揶揄しているかもしれないし、かわいそうなやつだと、同情しているかもしれない。
 しかし、今やそんなことすらどうでも良い。
 今、目の前にあるこの絵が私の最後の絵になるかもしれないのだから…。
 ついさっき私が感じた色は真紅であった。
 当然、真紅をテーマにした作品が完成した。
 気がつけば、私の左手首から先は椅子の横に転がっていた。

私の理解を遥かに超えた凄い作品を発見した気持ちです。

ゴンスケさん この作品は落ち込んでる時に書いたんですが、やはりその時の気持ちは作品に踏襲されるのだなぁと感じました。