『古の都』

 誰もが承知しているであろう『清水の舞台から飛び降りる』との言葉。
 清水の舞台上から並んで見下ろしている君が笑顔で話す。
「いつも思うねんけど、そんな高ないね」
「旦那さんとも来たことあるん?」
「旦那と来た事ない。そろそろ行こか」
 二人で歩くこの場所は残響も趣がある。伸せば届く、華奢な掌に触れる事は許されないから少し肩を離して歩く。
「いつも人多いやろし来いひんけど、紅葉の時期は綺麗やろね」まだ色付く気配もない楓の葉を見ながら可愛い声で君は話した。
「昔もそうゆうてへんかった? 」
「そうやった?  忘れてしもた」そう言いながら、イタズラっぽい笑みを浮かべる君と、小さく見える京都タワーと重なりあうのが小気味良かった。

「下から見る舞台もええね」
「昔はホンマに、人が飛び降りたみたいやな」
 俺は歴史あるこの地を感慨深く見回しながら、華奢な君の掌を握ってみた。少し驚いた様子だったが、しっかりと握り返してくれた掌は、少し肌寒い日に心地良い温かさだった。
 二年坂へと足を進めていき、石段を降りるのを止めると、振り返ってみた。坂の途中から見上げる三重塔は、本当に風情がある。
「奥さんとはなんで別れたん? 」核心をつく質問に俺は困惑しながら応えた。
「清水の舞台から飛び降りてみた」
「……確か、私の息子と同年代やったね」
「来月で三年生になるから10歳か」
 何があったん? と聞きたげな君の姿を尻目にして、一人坂道を進んでみた。君は小走りで俺の横に並ぶ。
 暫く静寂な時が流れて、坂も終わる頃に、
「娘と訳あって連絡出来ひんねん」と、消え入りそうな声で発っすると、君は泣きそうな表情で、「幸せに暮らしてると思ってたのに」と震えた声で話す、君の言葉を聞くと、内に秘めていた娘に対しての感情が溢れ出し、胸が押し潰される。いつしか冷たくなっていた、自身の手の甲が目元からの雫で濡れていた。
「ずっと待ってるし」
 君は手の甲を握りながら言ってくれた。
「何を?」俺は無様な顔で聞き返す。
「娘さんとの二人の写真画像。待ってるしね」君は精一杯の笑顔で言ってくれた。
「ありがと」俺は声を絞り出して答えた。

 帰途につくと君からのメッセージを確認する。
『もう若くないんやから、無理したらあかんで』との言葉をくれた。
「ホンマに世話焼きなとこ、全然変わらんな。十年前と」俺は苦笑いをしながら呟くと、胸が温かくなるのを感じるが、君の掌の感触を思い出すと、胸がチクリと痛んでいった。

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