『古本屋』

ことりと、静かな店内に音が響いた。

銀座の煉瓦造りから、脇道にそれた路地裏にあるこの店は、私が生まれる前からあって、街路建築のレンガと瓦屋根がわずかに見える以外は、外壁いっぱいに古い本が並んでいる。他の建物がやけにその店のまわりを避けて立てられている様子が、ある種結界を成していて、さも違う時間軸が流れているようだった。
私はこの隔離された結界の中で、一人住み込んで働いている。一応本を売ってはいるのだが、客は外観にギョッとして寄り付かず、私が生まれた時にはすでに、幽霊屋敷の噂が立つ始末だった。
数十年ぶりに営業を再開したというのに、私が店をもらってから、誰もお客は来なかった。

私は、数十年前に廃業し、当時のままじっと佇んでいたこの本屋の廃屋の、外に捨てられたように雨ざらしになった本たちに惹かれてこの建物を譲り受けたのだ。家主は本を処分する代金として五万円だけ渡して、逃げるように出て行ったが、私にとってはこの本たちこそが真の目的だった。

この本屋の本は、随分古い言葉で書かれていて、他の古本屋にも売られていない。
過去に取り残されたまま死んでいった、本ばかりだった。
日に焼けて、触ると今にもパラパラと粉々になりそうだ。
私は一人で活版を拾い、文章の文字通り組み立てて、時に現代語訳をし、昔の死んだ文章を生き返らせてやる。その本を新刊として、本屋に売りさばいてお金にする。
それが私の生業だった。

でも最近は外に出るのも億劫になり、買い物に行くのも面倒になり、寝ずに紙を食べて生きている。
もう読めない本や、印刷が終わって必要のなくなった原本をちぎって食べている。
もう、外の雨ざらしになっていた本は、全部印刷が終わり、綺麗になっていたので、最近は時間もわからず、引きこもりがちだ。
古い焼けた紙を、丸めてマッチで炙れば煙草になり、広げて炙れば、パリパリとした焼き海苔のようでこれまた美味しかった。文字を植えるのは、いつしか、売るためではなく、原本を食べるためにすり替わっていた。

今日もカタカタと誰もいない店で、薄暗い裸電球の下で、本に埋もれて、紙を食べながら文字を植えていると、入り口のドアを開く音がした。
「もしもし」
そんな声が聞こえたので、いらっしゃいませって声をかけようとしたけど、もう何日も人と話していないので、小さなうめき声に似た声しかでなかった。
私の声に怯えたのか、何十年ぶりの来客は、私を見るなり、小さな叫び声をあげて、足早に帰っていってしまった。
冷やかしか、泥棒かとも思ったが、私には追いかける気力もなく、また一枚紙を手にとって炙って食べた。

どれほど時間が経ったかわからないが、もうすぐ全ての紙が使い終わりそうだった。
たまには買い出しに行こうかと、50銭を握りしめ、そっと重い腰を上げた。眩しい光の射す入口から、路地裏の通りに出てみた。

外は新月の夜だった。
やけに眩しい空に照らされた路面は、裏通りだというのに舗装されていた。
振り返ると、元いた店はなく、高い硝子張りの建物に変わっていた。
たった今握りしめていた左手の50銭だけが、ここが現実だと教えてくれた。
「ここはどこなのだろう」
街並みはすっかり変わってしまったが、でかい石造りの電柱に書かれた通りの名前は、私が店を構えていた通りの名前と一致した。

道往く人に声を掛けるも、声が出ず、肩を叩こうとするも、遠近感がおかしいのか、手が届かない。

寂しくなって、左手に持っていた富士の山の絵をマッチで炙って食べた。
今まで食べた紙のなかで一番美味しかった。
空は焼け始めていた。

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