『エス氏の惚れ薬』

エス氏は恋をしていた。
エス氏はどちらかというとイケメンの部類に入り、そんなにモテないわけではなかった。
しかしエス氏の憧れの人はそれはそれは美しい人で、イケメンのエス氏にしても付き合うことができなかった。

というより、エス氏はその人と話したことさえなかった。ただ単純にエス氏の一方的な思いにすぎない。いわゆる一目惚れというやつだった。
エス氏が毎日乗る通勤電車で同じになったのがきっかけだ。もともとその女性が同じ電車に乗っていたかは定かではないが、ある日急にエス氏はその人に惚れた。
通勤電車はほぼ毎日同じ時間に乗るが、その女性もその電車に乗っているため、エス氏にとって通勤電車は唯一その女性を眺められる時間だった。
ただ、エス氏には眺めることしかできなかった。初めのうちはどうこうしようとは思わなかったが、その女性への思いは募る一方だった。

ある時、エス氏は友人のアール氏から面白い情報を聞いた。それは、アール氏の知り合いが開発したフェロモン剤だった。
そのフェロモン剤に自分の唾液を少し含ませ、それを異性の顔の近くで振りまくことで、その異性が自分のことを好きになるというのだ。
エス氏は半信半疑だったが、あの電車の美女が忘れられず、藁をも掴む思いでアール氏に頼み込みそのフェロモン剤を手に入れた。

アール氏の説明によると、そのフェロモン剤の効果は約1ヶ月とのことだった。
エス氏はさっそくそのフェロモン剤の入った小瓶に自分の唾液を少量入れた。特に変化はない。
これを水で薄めて、それを霧吹きのようにすればいいようだが、果たしてそんなに上手くいくのであろうか。
エス氏は憧れの女性にフェロモン剤を使う前に、練習で他の女性につかってみることにした。電車の中でうまくそのフェロモン剤を振りまけるのかも試す必要があったし、そもそもそのフェロモン剤が本当に効果があるのかを知る必要もあった。

手の中に収まるサイズの、非常に小さな霧吹きを見つけ、それを手に入れた。実際にその中に水で薄めたフェロモン剤を入れ、自分自身に吹いてみたが、吹き出る量はほとんどなく、自然にしていれば気づかないぐらいであった。
これなら気づかれることはないだろが、効果があるのかは不明だ。

翌日、エス氏はいつもの通勤電車でその効果を試すことにした。
エス氏は普段であれば席に座っているが、その日は席に座らず立つことにした。霧吹きは手のひらの中にすっぽり収まっている、
すると、一人の女性がつり革をもつエス氏の前に座った。エス氏はチャンスとばかりにばれないようにその霧吹きを使ってフェロモン剤を噴出させた。
目の前の女性は何も気づいていないようで、エス氏の方を怪しげに見ることももちろんなかった。
しかし、エス氏が目の前の女性の様子をばれないように観察していると、フェロモン剤を吹きかけてから数分後、その女性がエス氏の方を見た。そしてすぐにその目を伏せた。

エス氏はやっぱりフェロモン剤なんて偽物であると思ったが、翌日通勤電車で座っていると、ふと人の視線を感じた。エス氏がそちらに目を向けると、昨日の女性がエス氏の方を眺めていた。
その女性はすぐに目を逸らしたが、また少しするとエス氏の方を眺めた。どうやらそのフェロモン剤には本当に効果があるようだった。

次の日、エス氏は再びフェロモン剤を霧吹きに入れ、それを手の中に隠し持った。憧れの女性に、自分のことを好きになってもらいたい。たったその期間が1ヶ月だとしてもあんなに綺麗で可愛い人が自分に惚れてくれるのであればそんな嬉しいことはない。

エス氏は席に座る憧れの女性の前にそっと立った。そして、その女性にばれないようにそっとフェロモン剤を吹きかけた。
案の定、数分後その女性はエス氏の方を恥ずかしそうに眺めた。人が人に惚れた際特有の艶めかしい目だった。
エス氏は飛び上がるほど嬉しかった。その日の仕事は殆ど手につかなかった。

翌日通勤電車で憧れの女性を見ると、やはりその女性は恥ずかしそうにエス氏の方をちらちらと眺めた。間違いなくエス氏に惚れている。
しかし、意外にもエス氏はその目線が嬉しくなかった。
なぜなら、その女性はエス氏が以前思っていたよりも美しくなかったからだ。よくよく見てみると、憧れだった女性は、どちらかというと美しくない部類に入る。エス氏は憧れだった女性への思いが急に一切なくなってしまった。

そう、実はちょうどこの日エス氏がこの女性に惚れてからちょうど一ヶ月経ったのだった。
この日からちょうど一ヶ月前、この女性はエス氏にフェロモン剤を使ったのだろう。エス氏のことを好きだったのではない。この女性もまたフェロモン剤の効果を確かめたくてエス氏に試してみたにすぎなかったのだ。

面白かったです!最後までオチが読めませんでした。 この後は、エス氏が最初に試した女性からフェロモン剤を使われるんですかね笑 好きという気持ちに自信が持てない社会になりそうです。