『冬夜のホーム、めぐり逢い』

「待って、行かないで!」そう口にしたときにはもう遅い。私が乗りたかった上り線の電車はすでに動き出し、私を一人ホームに残して行ってしまった。
「はぁ……最悪」田舎のローカル線だから、いまのが終電だった? そう思い時刻表に目を通す。
「よかった、もう一本残ってる。でも次の電車は20分後かぁ……」
 ため息を一瞬でかき消す冬の強い寒風。それは酷い残業の原因を作ったOLへの天罰に思えた。
「今日は、やっちゃったなぁ……」自己嫌悪のループは心を摩耗させ、衰弱しきった体に睡魔をもたらす。とにかく何かで気を紛らわせなければ。そう思い利き手だけ素手を晒し、スマホのディスプレイを灯した。手は冷えるだろうが、少しの間だけなら大丈夫。
 映し出されたのは趣味で閲覧している占いサイトのランキングだ。
『怖がらないで飛び込んでみて! きっとスペシャルハッピーなイベントが起きちゃうかも!?』
「嘘つき」あてずっぽうなアドバイスが虚しく感じられ、スマホをコートのポケットに滑り込ませようとした。その時鋭い風が私を煽り、頭にかぶっていたニット帽は連れ去られるように階段の方へ飛んでいった。やっぱり今日は最悪な一日だ。泣き出したくなる気持ちを堪えるように俯き、転がったニット帽を取りに行く。
「これ、あなたのですか?」
 顔を上げると私なんかより断然背の高い男性と目が合った。彼は私が落としたニット帽を携え、凛々しい笑顔で私に歩み寄ってきた。
「あの、大丈夫ですか?」
 突然の遭遇に思考まで凍りついた私。そしてそんな私の顔を覗き込む彼。
「なななな、なんでも、ないです! ごめんなさいっ!」吃ってしまった上に脈絡なく謝ってしまうなんてかっこ悪いなぁ。そう思うと彼の顔をまともに見られなかった。しかし、
「あー、いえ。こちらこそ、怖がらせてしまってすみません……」何故か彼は申し訳無さそうに頭を下げていた。
「え、いや別にそんな事無いですけど……」
「そう、なんですか? よかった。自分体がでかいから、それで結構他人に怖がられるみたいで。それで目をそらされたのかと思いました」彼は私の様子に安堵し胸をなでおろした。この寒空の下、手袋も何もつけていない彼の手には、相変わらず私が落としたニット帽が握られている。
「あ、私の帽子。拾ってくれてありがとうございます」
「そうでした。これをお返ししないと」
 差し出されたニット帽に手を伸ばした時、私はさっきスマホを操作するために手袋を脱いでいたことに気づく。1分くらいしか経っていないのにもう冷たくなっているのだから、きっと彼の手も冷たいんだろうな。ふとそんなことを考えたら、
「「あ」」
と、2人が同時に声を漏らした。ニット帽をつかもうとした私の手が彼の拳ごと握ってしまい、直に手が触れ合ってしまった。
「あ、あ、ごめんなさい! 今のは、事故です!」私はニット帽を引っ張るように勢いよく手を下げた。初めて会った人の手を思い切り握るなんてなんてバカなんだろうと、自分の愚かさに嫌気がさす。
「いえこちらこそ、冷たい手ですみません。今日手袋を忘れてしまって。逆に温かい手に触れられてラッキー、なんて……。何言ってんだ俺は」
 私たちはししおどしの様に何度も頭を下げあった。そして互いの目が合うと、なんだかそれがおかしくて同時に吹き出してしまった。

「今日は一段と冷えますね」自分の両手に息を吐いて彼は言った。手袋を貸そうと思ったが、彼の手は私より断然大きかった。
「そうですね、寒いのは苦手だから、早く春になってほしいです」
「自分も暖かいほうが好きです。奇遇ですね」
 彼と顔を合わせるたびに跳ね上がる心拍数。何か喋って気を紛らわせようにも考えがまとまらない。チクチクと胸を指す沈黙の刺激に耐えきれず、気づけば私は心に浮かんだことを口に出していた。
「私、今年から会社に就職して社会に出て、初めてのことばかりで、上司にはさんざんいびられるし、毎日忙しいし。その上今日は私のせいでこんな時間まで残業になってしまって……」そこまで喋って私は慌てて口を塞いだ。こんなの初対面の人に聞かせる話じゃなかった。
「ごめんなさい、こんなつまんない話しかできない人間で……」もはや彼に顔を向けることすら出来なくなり、顔を両手で覆った。
「大丈夫ですよ。自分にも同じような経験がありますから。僕で良ければ話を聞きますよ」
 彼の温かい言葉は凍てついた私の心を融かすのに十分で、気づけば私は凝り固まった不安を声に出していた。
「明日、うちの会社の説明会があるんですけど、そこで配布する資料冊子を私がいる部署で作ることになりまして。それはいいんですが、完成した資料に私がお茶をぶちまけてしまって、ほとんどを明日までに作り直すことになっちゃって。そのせいで同僚を巻き込んで緊急で残業する羽目になってしまったんです。なんとか作り直すことはできたんですけど、みんな殺気が籠もった視線で私を睨んでいました……」
 喋っていると自分の不甲斐なさを改めて実感し、涙が溢れてきた。
「会社や同僚に迷惑かけて、しかも初対面の人相手に愚痴こぼして、私ってほんとダメだなぁ……」
 私は最低。自己嫌悪が喉につまったような息苦しさが全身を支配しようとしていた。

「ダメなんかじゃありませんよ」

 それは最低最悪の私に向けて放たれた、彼の力強い言葉だった。
「自分は話を聞いていて、とても勇敢だと思いました。あなたは同僚からの冷たい視線にさらされながらも、逃げずに責任を取ったのでしょう? それってとっても立派ですよ」
 彼の励ましは嘘偽りのない心から汲み上げられたもの。真っ直ぐに私を見据えた双眸がそう訴えかけていた。
「もっと自信を持ってください。私は逃げなかったぞ~、ってね」
 彼が見せる無邪気な笑顔が何だがおかしくて、いつの間にか息苦しさはどこかへ消えていた。
 見つめ合う2人、しかしその間に割って入るアナウンス。下り線の電車がホームに停まった。
「自分、こっちの電車なんでもう行きますね」そう言って軽く会釈をし、彼はゆっくりと電車に向かって行った。
 その姿を見て、あんなにも自分を励ましてくれた相手に名前すら尋ねていないことに気づいた。名残惜しい気持ちが膨らむが、しかしそんなことを聞いて不審がられたらどうしようと不安が体を鈍らせる。
『怖がらないで飛び込んでみて! きっとスペシャルハッピーなイベントが起きちゃうかも!?』
 その時頭に浮かんだのは占いサイトの一文。それが彼の言葉と重なっているような気がした。もしそうなら、きっと立ち止まっちゃいけないんだ!
「あ、あのっ!」
 遠ざかる彼の背中に向かって私は思い切り声を出した。すると彼は足を止め、こちらに振り返った。
「運命って信じますか?」
 内気な私が出せる精一杯の言葉に、彼は優しく微笑んだ。
「信じてます」

 彼を乗せた電車が遠ざかっていく。私はホームの端っこまで、手をふる彼を追いかけた。その姿が見えなくなると、私の家路へと向かう上り線の電車がホームに入ってきた。ドアが開き、軽快な発車メロディがホームに響き渡る。
 電車の中は暖房が効いていて温かい。冬の寒風に当てられた体がゆっくりと解されていった。

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