『よくある戦争の国のアリス』

ある国の村にD軍が進駐してきた。
村人たちは怯えた。すぐ抵抗するほど血気盛んな村ではなかった。
村娘ルツィエ・***スカヤは親がいなかったので、庇護してくれる者もなく、ただただ"鹵獲"されることを恐れながら軍人たちに接した。他の村から悪い噂を聞いていたのだ。
ある時、***ヤーという軍人に気に入られ、おっかなびっくり接していた。
悪い噂のイメージとは違い、彼はルツィエを一人の女性として見ていた。やがて二人は結婚して娘が生まれた。
アリツェと名付けた娘はすくすくと育ち、家族は幸せに暮らしていた。
ところが、村のD軍は撤退した。***ヤーも例外ではなかった。
ルツィエとアリツェは村に残された。やがて戦争の終わりの報が伝わった。
ルツィエは利敵協力者として連行され、母に隠れるよう指示されていたアリツェだけが残った。
「どうして、パパは助けに来てくれないのだろう?」という考えは次第に「助けに来てくれないパパは悪い奴なんだ」と変わった。周囲の目もあり、誰にも会わずにすむよう都市部へ引っ越した。
アリツェは********に就職し、冷淡な職業婦人として職務を果たした。
仕事をしているうち、父が暮らしている場所を突き止めた。
そこへ行って、乱暴にドアを開ける。元D軍人***ヤーがここにいることはわかっているぞ!
そう叫びながら奥へずんずん入っていく。居室のドアを開けるとそこには車椅子に乗った白髪交じりの男性がいた。貴様が***ヤーだな!と問うとゆっくりと首を振って肯定する。
人の気配を感じたアリツェが振り返ると子供が二人、壁に隠れ怯えながらこちらを見ている。
かっとなってアリツェは父の車椅子を押しながら外へ駆け出した。
なんらかの罰を受けることは確実だがそんなことはどうでもいい。今までの人生はこのためにあったのだ。

二人はある湖畔の森へとやってきた。美しい風景ながらひと気のない墓地だった。
「貴様は覚えていないだろうが、ルツィエ・***スカヤの墓だ。」
息を切らすアリツェは目の前の男を見やる。そういえば、ここまで来る間この男はなにも抵抗することなくただ黙って連れてこられていた。そう気づいてなにか思慮する間もなく、「ルツィエ……」と男がつぶやく。
「妻子を見捨てて逃げ帰ったクズのせいで、彼女は対D協力者として連行され、心労がたたって死んだのだ。あの時、村人は誰でも協力していた!ただ一人のD人の妻であっただけでスパイ行為などしていなかった!」
アリツェの目には涙が浮かんでいた。男の視界には入っていなかったが、声色で気づいただろう。
「そうか、ああ、ルツィエ。……」
男は今までになかった動きで車椅子に隠していた拳銃を取り出し、アリツェが反応した時にはすでに構え終わっていた。
「本当にすまなかった、ありがとう。アリツェ」
銃声に驚いた水鳥が湖面を飛び立った。

アリツェが諸々の処理を終えて父のいた家に向かったのは1年も過ぎた後だった。
花束を抱え憔悴しきった顔のアリツェを見てか、ドアを開けた中年女性は快く迎え入れてくれた。
詫びの言葉を入れると、女性は「まあまあ、まずは座ってお茶でも」と台所へ向かった。
父のいた居間はあの時からなんら変わることもなく、強いて言えば散らばるおもちゃの種類が増えたことか。
出されたお茶を何の躊躇いもなく飲むと、甘みと温かさが体にしみる。
「あなたにはこれを渡さなくちゃと思って、お忙しいだろうけど呼んだのよ」
テーブルの上に出されたのは一つの箱と、父の名が記された日記帳だった。
「その花束は叔父様のお墓に供えなさいな。そのほうが叔父様も喜ぶわ」
年の離れたアリツェの従姉は少し涙をこぼしながら言った。

「送った手紙が帰ってきた。しかも、時期の違う2通が同時にだ。これはもう二度と連絡できまい。私だけでなく二人をも危険に巻き込むわけにはいかない」
「ルツィエの料理が恋しい。何を食べてもつまらない」
「アリツェはもう20歳か。ルツィエに似て美しく賢いから、うまくやっていけるだろう」
「ルツィエに似た女が街にいたという。きっとアリツェに違いない。私を迎えに来たのだ。やっとルツィエのもとに行ける」
日記にはそのようなことが書かれていた。
箱の中身は宛先不明で返却された手紙と、消印のない手紙、そして切手のない手紙だった。
「ルツィエとアリツェへ。今は難しいが、二人と一緒に暮らせるようにしたい。その時また連絡する」
「準備が整った。***駅へ来れないか。返事を待つ」
消印のない手紙には妻子へ宛てた届くはずのない愛の言葉が、切手のない手紙には懺悔の言葉が書かれていた。
「せめて、ルツィエと同じ墓に入りたい」
ところどころ錆びた鉄のベンチに座って読んでいたアリツェは、再会した父を己の愚かさで失くしてしまったことを後悔して、ひどく泣いた。
祖国で本来の家族とのうのうと暮らしているであろう父に復讐することだけを支えに一人で生きてきたのに、その父親像は偽りで、今度こそ本当に独りになってしまった。
だけど、ここで父のように死ぬわけにはいかない。なぜなら手紙には娘が幸せに暮すことを望むと書かれていたからだ。
アリツェは両親の眠る墓にすがって大声で泣き続けた。

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