『タバコ』

私は星空の下、駅の改札を出ると自宅のある方へ足を進めた。先程は星空の下と言ったものだが見える星は凝視すれば2、3個見えるだろうかという具合である。それもまぁそのはず、都会の郊外とはいえ、こんな時間にもかかわらず車は排気ガスを吐き続けている有様である。よって、車のライトはもちろんのこと建物から出る光が空からの光を遮っている。私は停めていた自転車を取ろうと駐輪場へ向かった。道中は不法駐輪だらけだ。駅前では選挙カーからありもしない妄想話が大きな声で聞こえる。高齢の男性は警察から取り調べを受けている。その向こうには車がガードレールに衝突し、その先には青い仕切りが設けられ見えなくなっている。おそらく人が死んだのだろう。野次馬達は大声で泣く女が出てきた瞬間を携帯のカメラで逃さず撮っている。実にやかましい街だ。やがて、しばらく歩くと駐輪車に着いた。そこで自転車にまたがるとペダルを漕いで進んだ。私は自宅の方へと確かに向かってはいたが、自宅にはまだ帰らない。向かう先は家の近所の大きな公園である。
しばらくすると、その公園の入り口に着いた。そして、そのまま公園内の道を走って公園の奥へと向かった。
夜の公園は良い。臭い排気ガスの臭いが回ってはいないし街灯もまばらであるから人が少なくとても静かだ。加えてこの公園は民家の密集する場所の中にあるのでうるさくする輩もいない。私はこの夢の中のような公園内をしばらく走った。トイレの前まで来ると自転車をそこに停めて先にある広場の方へ歩いた。道を外れて木を避けて土の上を歩いていくとオレンジ色の街頭が点々とある広場に着く。そこのベンチに腰掛けるとポケットから小さな箱を出してタバコを一本くわえた。手で風を遮って火をつける。今日は風が強くてなかなか火がつかなくて苦労した。やがて燃え始めるタバコの先を目視すると、手に挟んで大きく息を吐いた。排気ガスの匂いは臭くていけないが、これだけはやめれない。中にはこの匂いが苦手だと言う人もいるが私はこれがなければ生きてはいけまい。やがて背をベンチにもたらさせてリラックスした体制でぷかぷかとタバコを吸っていると。
「なぁおい」
静かな空間をスッと斬るように声がする。後ろを見ると乞食のような男がそこにはいた。ベンチのすぐ後ろの段に腰をかけている。続けて男は言う。
「俺にも一本くれやしないか?」
私はこの一人の時間を邪魔されたくはないと一本ぽいっと男の目の前に落とすとベンチから立ち上がりその場を離れようとした。
「なぁせっかくなんだから行かないでくれよ。ひとつ面白い話をしてやるから」
私はその声に足を止めた。男が言う面白い話に食いついてしまったのだ。こんな1日ぼーっと食べ物を漁るだけの人間が語る面白い話がなんなのか無性に気になったのだ。少しだけでもいいかという気になって再びベンチに腰掛けた。
「おお、聞いてくれるのかい?俺の話を」
そう男は嬉しそうに言った。
「なら、話させてもらうよ。約束だからな」
男はタバコの煙を吐きながら話を始めた。
「俺がなぜここにいるかわかるか?そりゃあわからねぇだろうね。俺は人を4人殺したんだ。どうやってかと言うと車を使ってだ」
私はその言葉に耳を疑った。この男はただの社会のゴミと形容されるような男だと理解した。どう言う経緯とかは関係なく私はすぐそう思った。
「その日は疲れていたんだ。何日も何日も寝る間を惜しんで働いたからな。帰宅してもいい時間を4時間は越していた。俺は車が好きだから乗っている時間は至福だったんだよ。浮かれた気分で走って交差点に差し掛かった時だ。交差点に子連れの男と女がいたんだ。誰かすぐにわかったよ。俺の奥さんと知らない男だ。その二人の間にいたのは知らない子供、おそらくその男の連れ子か何かだろいよ。ムカついたよ。自分は必死に働いているのに奥さんは他の男とせっせと遊んでいるんだから。もう何がなんだか分からないくらいにキレたよ。そして、こう考えたんだ。もう轢き殺すしか方法はないってな。大きくハンドルをきってそこに突っ込んだ。何がどうなってもいいやって思ったのさ」
男は半分まで吸っていたタバコを地面に擦り付けて火を消した。そして続けて話す。
「気がつけば警察やら救急車やら野次馬やらが集まっていたよ。そこからは早かった。色々取り調べを受けて…犯罪が確定されて…裁判を受けて…そして今に至る」
飛ばし気味でそう言った男に背を向けて私はタバコをぷかぷかと吸っている。実に面白くない話だったと心で感想を述べて。
「だけどよぉ…俺は4人のうち殺せたのは2人だったんだ。2人。最初にも言ったが俺は4人を殺したことになっているんだよ。男は殺さず仕舞いだったってわけさ。じゃあ、あと二人は誰なのか?それは俺の愛おしい二人の娘たちだ。裁判で娘2人の殺害も訴えられた時は驚いたよ。証言台にはあの殺そうとした男がいたしな。すべて理解したよ。あの男が娘2人を殺して家族を乗っ取ろうとしていたってな。だけど、男は予想外にも全身の怪我と計画の破綻が俺にもたらされたんだ…」
私は短くなったタバコの火を消してベンチから腰を上げて立ち上がった。
「なぁにいちゃん。あんただよな。俺の娘を殺したのは」
背後から男の殺気だった震える声が聞こえる。このままでは殺されそうだ。
「あんたが全てを壊した…あんただよ…あんた」
背後から足音が近づく、すぐ後ろに男が立っているのがわかった。
「なぁ…どうしてくれるんだ?俺の幸せを壊したこと…どうするつもりだ?娘たちをバラバラにして2人の体を縫ってくっつけて…なぁ?あの子たちは最後になんて言ったんだ…」
私ははぁと息を吐いて後ろへ振り向いた。
「あなたのように車で人を轢き殺すような殺し方をする人に言われたくはありません。あなたの美しい子供は私の芸術作品になったんです。きっと彼女たちも喜んでいることでしょう。それにあなたの後を追うように私も罪がバレて死刑になったんです。あなたは満足でしょう?」
そう言うと私は自転車を停めた場所へ向かう。
「そうか…そうなのか…そういうことか…社会が悪いのか…俺が悪いのか…」
男の言葉を無視して私は歩くが、ふとひとつ気になった事を思い出して振り返り男へ尋ねた。
「ここの出口はどこでしょう?」
男は疲れ切った表情で言う。
「地獄に出口はないんだ」

この短編小説にはまだコメントがありません。
ぜひ一番最初のコメントを残しましょう。